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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

硫黄島島民の集い 「うちはどこ?」の続き 硫黄島の模型の元山部落

2008年09月20日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、今年の6月に、厚生館に
設置してあるのを撮影した硫黄島にある模型
「硫黄島戦前地図と現況重ね」の元山の辺りです。

昨年の6月の訪問の時には、擂鉢山山頂に置いて下さっていた段階で撮った写真
を紹介いたしました。

この模型の方には、主な建物も再現してくれていて、
学校、村役場、旅館の太平館 などが、あります。

白い滑走路は現在のもので、南北に平行にある(左右に伸びている)内の
南側の滑走路の白い場所にある建物が太平館です。

太平館から斜め左上に向かっている道沿いに「魚屋さん」と、呼ばれていた店舗でもあった祖父宅があったそうです。

太平館から北に向かって工場、村役場、大正小学校と、
建物が並んでいます。 村役場と小学校は現在の滑走路にかかっていない
北側にあります。

村役場を左側、小学校を右側にして、南北にこの模型にはない、
現在の道路が通っています。その南北の道から、左に入る道が
滑走路と平行に北側に出ていて、その道の突き当たりが、
硫黄ヶ丘の入り口部分になっています。

村役場や小学校よりは、祖父の店・家は南西にあったようです。
やはり、この模型でも、小学校がギリギリで滑走路にかかっていないので、
それより南だった場所は、「現在は滑走路になってしまっている」場所
ということになります。

現在の南北の道は滑走路にぶつかると右側に折れて滑走路に沿って、空港を
半周しています。

昨年の6月には、その道を歩いて東に向かってからから、空港の東端で
北側に向かって曲がり、天山慰霊碑まで、徒歩で行きました。

南北の道が滑走路にぶつかり右に折れる地点に、立て看板がありました。
「滑走路に物を投げないように」と、書いてありました。

「こんな場所に、来る人は、限られているだろうから、
ものを投げる人もいないだろうから、誰向けの注意なのだろうか?」と
不思議でした。

空港と周辺との間には、
立て看板のところを、そのまま、まっすぐ進めば
滑走路で、塀や有刺鉄線などへ出てている物はありません。

そこから滑走路とその向こう側の厚生館などの現在の自衛隊の
建物群を見ながら、
「どのあたりが、家だったのだろうか?」と、
この地点に来ると、「今の滑走路の中なのか、
このあたりの、ギリギリで滑走路にかかっていない北側の森の中
かもしれない。」と思ってしまいます。
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