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戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(22) ケータ島 (聟島)(1)

2013年07月16日 | 硫黄島・小笠原村
今年の6月の小笠原、硫黄島の訪問の紹介をしていて、大阪山壕の写真の紹介を終わりました。
少し、硫黄島の紹介から、少し離れて、ケータ島の写真を紹介します。
小笠原丸がいよいよ父島に到着するまでもう少しとなってきたタイミングで、船内放送で、ケータ島の横を通過中だということが知らされます。このケータ島は聟島(むこじま)とも呼ばれて、聟島列島に属します。アナウンスは「ただいま本線は、小笠原諸島最北端の聟島列島沖を通過中です。」というような内容です。

この写真は航行中の小笠原丸から東方向にある、聟島列島を撮ったものです。

距離があって分かりにくいですが、写真の左半分と右半分とに島影が見えます。左が北で右が南です。左の方がぎざぎざと尖っている部分が並んだ島で、右側の方は、平らな部分が続いていて右端に尖った部分があるという形に見えます。これまでは、てっきり、人が住んでいたことがある聟島本体が、平らな部分が多い南側の島なのだろうと思っていたのですが、今、Google Mapで見たところでは、、北側のぎざぎざに見える方が聟島で、南側は  媒島(なこうどじま) となっています。 今、Wikipediaで調べたところ、聟島列島の中で、むこじま と よめじま(嫁島)の 間にあるので、 なこうどじま だそうです。  媒 = なこうど という漢字を覚えました。
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