2002年にできた硫黄島平和祈念館の建物の全景です。
この施設ができたおかげで、年に一度の小笠原丸での慰霊墓参帰島の時に
私たちが、硫黄島に一泊できるようになりました。
上陸地点からの釜岩からも遠くなく、正面に監獄岩が見える位置です。
大阪山砲台跡、壁画、医務課壕が近くにあります。
この写真は、平和祈念館前の周回道路を渡って、海側に下りたところが
草が生えて広場のようになっている場所から撮影しました。
写真の左後ろ側が、大阪山砲台に続く壕の入り口や弾痕痕が多く見られる、
赤い土が露出していて急な斜面になっているあたりです。
建物前左側に二つ、テントが張ってあります。
二つのうちの右側のテントの下に、先輩たちが植えた
がじゅまるの木があります。
左側のテント。
今年の6月硫黄島1日目の夕方、私が走っていた時に、大きな島唐辛子の木に、先輩方数人が群がって、長い時間をかけて、実だでけではなく葉っぱを丁寧に取る作業をしていて、「島唐辛子の葉の醤油煮」にしてもらった話を先に紹介しました。
その木が持ち込まれて、新聞紙に葉っぱが摘み取られて重ねられ作業がされていたのが、左側のテントの下でした。
この施設ができたおかげで、年に一度の小笠原丸での慰霊墓参帰島の時に
私たちが、硫黄島に一泊できるようになりました。
上陸地点からの釜岩からも遠くなく、正面に監獄岩が見える位置です。
大阪山砲台跡、壁画、医務課壕が近くにあります。
この写真は、平和祈念館前の周回道路を渡って、海側に下りたところが
草が生えて広場のようになっている場所から撮影しました。
写真の左後ろ側が、大阪山砲台に続く壕の入り口や弾痕痕が多く見られる、
赤い土が露出していて急な斜面になっているあたりです。
建物前左側に二つ、テントが張ってあります。
二つのうちの右側のテントの下に、先輩たちが植えた
がじゅまるの木があります。
左側のテント。
今年の6月硫黄島1日目の夕方、私が走っていた時に、大きな島唐辛子の木に、先輩方数人が群がって、長い時間をかけて、実だでけではなく葉っぱを丁寧に取る作業をしていて、「島唐辛子の葉の醤油煮」にしてもらった話を先に紹介しました。
その木が持ち込まれて、新聞紙に葉っぱが摘み取られて重ねられ作業がされていたのが、左側のテントの下でした。