摺鉢山の麓の近くにある飛行機のトーチカです。飛行機の機体胴体部分の残骸のまわりにコンクリートや石などを付けてできているトーチカです。作成の材料を節約するために飛行機胴体が使われたということのようです。この辺りは、米軍が上陸した南海岸からすぐのところですので、このようなトーチカがどれぐらい効果的であったかは疑問です。
水平砲の前にある小さな碑です。こじんまりとした碑です。国や役所などが建てて維持しているものではないという印象です。この碑を見たのは、何度も硫黄島に行っていても、昨年が初めてで、今年が二度目でした。その前は、森の中にあって私たちが通る道からは見えなかったのが、ご遺骨収集作業のための道の整備で、見えるようになったという話を聞きました。
摺鉢山の山頂から撮った釜岩の湾内に停泊している小笠原丸です。この写真でみると、釜岩からすぐの場所に停泊しているように見えますが、実際に艀で運んでもらうとかなり距離があります。毎年、ぎりぎりで、乗船下船がしやすいように波やうねりがない場所まで非常に難しい操船で進んで停泊してもらっています。硫黄島が隆起していることから停泊場所を選ぶのが非常に難しいそうです。
砂州のように伸びている場所の先端が釜岩で、戦前は沖合の島であったものが硫黄島の隆起で陸続きになったものです。
その向こう側に見える小島が監獄岩です。戦前は監獄岩に建物があって設備とかが置いてある漁業の基地だったそうです。
砂州のように伸びている場所の先端が釜岩で、戦前は沖合の島であったものが硫黄島の隆起で陸続きになったものです。
その向こう側に見える小島が監獄岩です。戦前は監獄岩に建物があって設備とかが置いてある漁業の基地だったそうです。
これも摺鉢山の山頂からの写真です。沈船群のある釜岩の湾と、そこに停泊している私たちを連れてきてくれた小笠原丸です。釜岩の砂州の向こうにある島が監獄岩です。もう、二日目の午後の日程も残り少なくなっているタイミングですので、この後で、一度、宿舎の平和祈念会館に戻ったあとで、釜岩付近から艀に乗って、小笠丸に戻ることになるという時間です。
硫黄島に行って撮る写真の中でも、一番好きなのがこの構図です。
硫黄島に行って撮る写真の中でも、一番好きなのがこの構図です。
硫黄島の南西端にある摺鉢山の山頂から、硫黄島の北西側に続く海岸線です。小笠原丸が停泊している釜岩の湾もこちら側にあります。