今回から設置された鉄骨で組まれた、私たちが硫黄島に上陸したり帰りに送ってもらう艀に乗ったりする地点です。隆起が激しいために、この乗り降りする場所の設備をどうするかは難しい問題で、予算を取ってこのような設備を作ってもらったそうです。
昨年の6月の硫黄島への慰霊墓参の旅の様子の紹介を続けていて、間もなく硫黄島を離れて出航する小笠原丸からの写真を紹介しております。停泊している小笠原丸は選手を釜岩の方に向けていて、右舷甲板からは、右手に摺鉢山、正面に沈船群と燃料タンク、その左側に釜岩と地続きになった根本の部分とその奥、この写真の左の方に硫黄島島民平和祈念墓地公園が見えます。その右上の崖のようになっているところは、数年前にご遺骨発掘が終わって公開された(中に入って見れる壕はありません。)大阪山壕です。
戦前は硫黄島の沖合の小島だった釜岩と硫黄島とが隆起によって地続きになっていて、その途中の部分が私たちが艀で運んでもらって硫黄島に上陸する場所になっています。この写真は、その地続きでつながっている根本のあたりです。今回は、そのあたりの海水の色が茶色く濁っていて、小笠原丸から海をみると気泡のようなものが湧いているのも見えました。火山活動によるものだということでした。