これも前回投稿したものと同じような位置関係からの摺鉢山です。おそらくこの角度からの摺鉢山との位置関係は、摺鉢山、小笠原丸停泊場所、この時の小笠原丸の位置が、ほぼ一直線上という角度になっていると思います。
動き始めた小笠原丸がかなり硫黄島の西側を北に進んできました。小笠原丸が停泊していた釜岩の湾を形成している釜岩岬(戦前は沖合の小島だった釜岩と硫黄島が隆起で地続きになった部分)の浜と、その後ろ側に摺鉢山という位置関係の写真です。
平和祈念会館の前を小笠原丸が通り過ぎたあたりからズームで拡大して撮った平和祈念会館の写真です。会館の後ろ側あたりが大阪山と呼ばれる地域です。会館より左側の上がっていったあたりには、大阪山砲台の跡があって残された当時の水平砲があります。
また、大阪山壕という最近になって大規模なご遺骨収集作業が終わって見学することができるようになった場所は、この写真の右側のあたりです。
また、大阪山壕という最近になって大規模なご遺骨収集作業が終わって見学することができるようになった場所は、この写真の右側のあたりです。
前回に続き硫黄島の平和祈念会館の写真になりますが、前回のものよりズームして撮ったものです。こうしてみると、建物の下はかなりの高さの切り立った断崖であることが分かります。硫黄島が隆起を続けていますので戦前に住民が暮らしていた頃はもう少し低かったと思われます。戦前はこのあたりは、集落名では、漂流木集落(集落でなくと言われることもあります)であったと思います。
小笠原丸は監獄岩沖を通過してかなり北に上がってきた位置まで来ました。写真の左側には硫黄島の北西側の断崖が見え始めました。右の方には停泊していた釜岩の湾に近い燃料貯蔵タンク群が見えます。中央に見える建物が宿泊した平和祈念会館です。
釜岩岬先端を回り込んでから進路を北方向に変えて、監獄岩を通過した小笠原丸は、摺鉢山とは逆の方向に向かっていて時計回りに硫黄島を一周します。監獄岩からもだいぶ離れたので、位置的に摺鉢山より右側に監獄岩が見えています。