名優が去られて今後の映画、ドラマ、モノマネが寂しくなります。
先ず、なるべく多くの人が助かると良いと祈っています。
それと心配なのはこの車両の製造等でまた日本でないかと余計な心配をしております。
内ゲバ的に言い合う必要よりも結果としてコロナウイルスの封じ込めが大事なんですけど。
それと報ステのCMもそうでしたが、振り向いて貰えるか否かそれが大事な場面なんです。
政治不信、支持政党なしなんて甘い話で例えば都民なら都の行政は気にするけど国政の具体性の乏しい緊急事態宣言解除や蔓延防止等重点措置に一喜一憂しないでしょう。
せいぜいが解除で羽田が混んだとかで、本質的には変わらないか、既に自粛の我慢が限界に来ていた人達なんです。
それでも地方より都会で感染が拡大しているのは我慢せずにコンパに参加した若者がいたとしても不思議ではありません。
そしてそれも例えば最後の別れとかだとすれば仕方ない状況かもしれません。
だとすれば、そんな若者に関心を持って貰える雰囲気が要るのかと思われます。
漢字9文字の羅列は流石にこのブログだけかと思いますが、それにしても何故このネーミングなのかセンスを疑うと言うか、相手に響かないのだと無意味です。
おそらく、誤解しているのは今の問題は政府よりも国民各自が感染防止を続けられるかなのです。
そして政府がすべきはワクチンの入手や医療逼迫に対する施設や人員の確保です。
何が間違ったのかマスコミは感染拡大を政府の所為にしたがるのですが、現実的にはそうでない部分を問うかまたは違う話をするべきです。
玉川氏のような未だに政府批判の先鋒に立つ人はいざ知らず現実的な若者像は関心がないのです。
それに関心を持たせるまたは本当にそれで良いの?となるならそれこそ注目ですから関心が高まるのですが。
戦後76年のほとんどが政府批判に明け暮れて何も進歩して来なかったマスコミで良かったのかとなります。
野党ですら政権交代や一部の意見、法案で国民優位にさせましたよね。
諦めの政治不信のまま、長い間変わらないで政権批判を繰り返して結果何も変わらないのでした。
特に失われた15年や現状もそうですが、提言をするだけの取材努力や内部での議論さえも見えません。
本質的な意識として自己改革が起きない限り新型コロナウイルスの対策なんて語っても数字は取れても中身が追いつくのか疑問です。
基本的には正しくとも現実的に局面を打破するだけの物を示せないと意味がないのです。
それでないと政治への関心だけでなく、他の事にも諦めになってしまいます。
そして何よりまた諦めで非積極的な意識でモラルさえも疎かになるからコロナ禍で問題がなくならないのです。
それをまたマスコミはネタにするのだから
余計に問題なのです。
これだけ状況が追い込まれているのならせめても肝心なワクチンの入手状況とか、変異ウイルスの対策とか何か役立つ事に熱を入れたら良いのに。