世良は、2019年にニュージーランドでイルラム教の礼拝所が襲撃され50人が死亡した事件直後のアーダーン首相の「私はテロリストの名前を言うことはない。命を奪われた人達の名前を呼ぼう NZは男に何も与えない 名前もだ」という言葉を紹介。アーダーン首相はテロリストの名前を使わない理由として、悪名を広げることもテロの目的の1つとなっていることを挙げている。
それで根本的な原因を隠滅したら、おそらく第二第三の同様な事件が起きる元凶が根絶出来ません。
何しろ、秋葉原の無差別殺人事件でもそうですが、その背景は日本の社会やネット社会の未熟さにもあったのかと思います。
そう言う意味では山上容疑者はテロに訴えるべきではなく、弁護士などに相談して解決するべきでした。
ただし、確かに模倣犯を防ぐ意味では有効です。
なのでニュージーランドの場合、適正なんでしょう。
日本でもヘイト的な理由でなら拡散は良くないのでしょうけど、追い込まれての仇討ち的なものなら原因を断たないとそれは続きますよね。
冷静な分析をしないで直情的に同様に扱ってしまうのは良くないのかと思います。
ただ、拡散よりも営利的もしくは我先に映画にするとかが正しいのかは後になってみないと判断されないのかと思います。
日本だけがこうしているのが間違いのような書き方をするのは早計ではないかと考えます。
むしろ、本質的に宗教が社会や秩序を悪くすると言うのでは自由とか言ってられませんよね。
これは別に旧統一教会に限った事ではなく、オウムや他にも似たような社会的な罪悪や民事トラブルはありましたから。
カルトを決められるような法律とかの基準を持たないと他の宗教にまでも悪影響するのは分かる話なのかと思いますけど。
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