その前に見た記憶があったので探してみると
まだ、国民の審査を受けていないのでその意味ではいずれかの時に解散総選挙してその結果で改める所は改めても良いのではないのかと考えます。
日本学術会議の件にしても話し合いが出来るようなならなければ、日本学術会議の存在意義が薄いままになります。
この記事が示すように意外と自立したアカデミーと認知されていません。
自立であっても法律は勿論、世間の常識に合致しないと時代遅れになります。
第三者による意見の聞き入れが全くなく独自の世界観だけでは自然科学系でもミスと言うか問題が有りましたよね。
有りますと言って無かったのが。
それに学会と業界との関連で言えば原発事故のような物も相互の意見が熟成していれば何かしらの対策に繋がっていた筈です。
研究がその世界だけで閉じていた時代とは異なり、応用されてそれなりに社会貢献する、または国民の関心を集めるような物でないとなんの為の研究なのかと思われてしまいます。
少なくとも国の費用で会議を開く以上、国に有益でないといけないのでしょう。
その概念が有名なテレビに出ている人でも閉じていた時代の研究観のままなのかと思いました。
話は逸れましたが国民の認知なんてその程度なんです。
それで解散・総選挙するのならもっとな大義名分が必要です。
確かに国民審査は必要ですが、せめてイシュー(issue) を明確にして対立軸を立憲が示せないと事実上の信任投票になってしまいます。
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