EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市城南地区歴史散策3 坂の上の雲ミユージアム

2010年08月02日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策3 坂の上の雲ミユージアム

松山城南側山麓の萬翠荘入口に平成19年4月28日開館した。

坂の上の雲ミユージアムは、松山の街全体を屋根の無い博物館とする「坂の上の雲」フイールドミユージアム構想の中核施設で司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は、松山出身の秋山好古、眞之兄弟、と正岡子規の3人の生涯を通して近代国家として成長していく明治の日本の姿を描いている。

このミユージアムは、小説に描かれた主人公3人の足跡や明治時代に関する展示に加え、街づくりや地域資源を紹介し訪れた人々が時の流れについて感じ、考える拠点として開設した。

NHK放映スペシャルドラマ「坂の上の雲」は12月5日から第二部が放映されますので是非ご覧下さい。

画像は、平成19年4月28日開館した坂の上の雲ミユージアムで設計は、安藤忠雄氏。

山麓に現代的な建物「坂の上の雲ミユージアム」中腹に大正時代の建物「萬翠荘」、山頂132mには江戸時代の建物「松山城天守」がある。
全国でもまれな建物の配置である。


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松山市城南地区歴史散策2 萬翠荘

2010年08月02日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策2 萬翠荘

松山城南側山麓に萬翠荘(旧伊予松山藩主久松定謨・さだことが大正11年松山の別宅として建築)がある。
松山市では一番古い鉄筋コンクリート造りで、木子七郎が設計したフランス式の建物である。

久松定謨(さだこと)は明治17年フランスの陸軍士官学校に留学、のち台湾総督にもなった人物であり、フランスの陸軍士官学校留学に随行役で行ったのが秋山好古である。

大正11年11月15日温泉郡新濱村高浜沖(現 松山市高浜)で日本陸軍の大演習が行われ此れを観閲の為、昭和天皇が摂政宮時代に大正天皇の名代で松山に来られ、この時に萬翠荘に宿泊された。

面積は924平方メートル、昭和60年県指定の文化財で、7月12日愚陀仏庵倒壊で閉館していたが、昨日から開館した。

画像は、大正11年建築された萬翠荘で、大正11年11月15日、日本陸軍の大演習観閲に松山のこられた摂政宮(後の昭和天皇)が宿泊される為に完成を急がせたといわれている。

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松山市城南地区歴史散策1 愚陀仏庵跡

2010年08月02日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策1 愚陀仏庵跡

7月12日午前中松山市は豪雨にあった。
松山城南側山麓に萬翠荘(旧伊予松山藩主久松定謨(さだこと)が大正11年松山の別宅として建築)がある、この裏に愚陀仏庵が再建されていたが松山城の土砂崩れで倒壊した。

本来の愚陀仏庵は松山市二番町三丁目7番地9にあったが昭和20年7月26日松山空襲で焼失し、昭和57年に松山市一番町三丁目にある萬翠荘の裏に復元したもので此れが今回倒壊した。

愚陀仏庵は明治28年4月夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任した時に下宿した場所である。漱石はここで正岡子規と52日間共に共同生活をした。

画像は、松山市二番町三丁目7番地9に「愚陀仏庵跡記念石碑」で、松山市が説明版を設置している。
愚陀仏庵の再建については募金活動がはじまっており再建気運が高まっている。


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