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秋山兄弟生誕地 開館8周年

2013年01月20日 | 伊予松山歴史散策
昨日1月19日、秋山兄弟生誕地開館8周年を迎えた。

秋山兄弟生誕地生家は、全国の秋山兄弟生家復興にご理解のある皆様約1万人を超える方々から醵金を頂き此れを基金として平成15年12月9日から整備開始し、平成17年1月18日完成・翌19日から一般公開した。
昨日19日が開館8周年を迎えた。
平成17年1月18日復興整備事業が完成し、この日NHK朝のニュース「おはよう日本」で完成した生家をライブで放映し、事業の完成が全国に紹介された。
なお、生家の概要は下記の通りである。

1、所在地  松山市歩行町二丁目3番地6
       財団法人 常盤同郷会「管理運営母体」
2、敷地面積 829,74平方メートル(250,99坪)
3、生家   
       木造瓦葺平屋建 95,65平方メートル(28,93坪)
4、道場
        木造瓦葺平屋建 183,13平方メートル(55,39坪)

秋山の祖は、1635年(寛永12年)第3代将軍徳川家光は、伊勢国桑名藩主松平定行を伊予松山藩主として15万石で転封の命を下した。(松平定行は、徳川家康の異父同母の弟の子供)この時、今治藩士であった秋山は、伊予松山藩士として来て、現在の生誕地に居住したのは、藩政末期の天保年間(約176年前)といわれている。

好古が北予中学校長時代に住んでいたのは、誕生当時の家に(4部屋と土間・台所の質素な家)若干手を加えただけのものだといわれています。当時の設計図は無く、秋山家の子孫の方から伝聞、特に好古が住んでいた当時しばしば訪問していた親戚の石井悦子さん(群馬県在住)や好古四女・米田治子さん(故人)から聞き取り調査及び当時の写真を参考にして建設した。建物の位置は、銅像建設の為当時より北側によせてる。

内部の調度品の内「甲冑」は、石井悦子さんが入り口の部屋に「鎧があって恐かった」との証言に基づき設置した。
生家復興建築については、現行建築基準法に基づき厳しい制約のなか、出来る限り忠実に元に近い形と(秋山家親族の証言を参考に)して復興した。

画像は、平成17年1月19日秋山兄弟生誕地一般公開から8年の沿革。


平成17年1月18日完成した秋山兄弟生誕地。


題字は、秋山宗家第10代秋山哲兒氏の揮毫・・生誕地正面入口に掲示。


秋山兄弟生誕地前のバス停も完備。


秋山好古騎馬像の復元も完成。・・地元町内会長さんの奥様がお花を準備していただき開館当時から現在まで欠かさず新しいお花が飾られている。


秋山眞之の胸像も設置完了。


平成17年1月19日から一般公開の掲示。


平成17年7月31日来館2万人達成記念日を迎えた。・・果たして2万人目の方はどちらから来られる方か関係者と、報道機関待ち詫びた。


平成17年7月31日午前10時48分2万人目の来館者が来られた。早速テープカットをして入って頂いた。2万人目の方は、名古屋市西区から家族で来られた平井さんでした。


開館2万人目の方に平松昇常盤同郷会理事長から、感謝状と認定書の授与が行われた。


秋山兄弟生誕地研究員からお祝いの花束贈呈。


秋山兄弟生誕地の役員と記念写真。


その後NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映で竹下恵子さんが来館、秋山兄弟生誕地関係者と記念撮影。・・平成20年2月12日寒い日であった。


次にお越しになったのは、秋山眞之を演じられる「本木雅弘さん」、本木さんは、言葉遣いの丁寧な、物腰の低い、礼儀正しいお人でした。・・勉強に来ましたと言われてお越しになりました。・・平成19年10月11日でした。


そして、次にお越しになられたのは、平成20年8月30日、廣瀬武夫を演じられる「藤本さん」で藤本さんは、元オリンピック水泳個人メドレー日本代表選手で、礼儀正しい方でした。秋山兄弟生誕地研究員と記念にとお願いして撮りました。
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