EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古生誕154年祭 開催

2013年01月13日 | 伊予松山歴史散策
司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物の一人である「秋山好古」の生誕154年祭が本日、平成25年1月13日(成人の日)秋山兄弟生誕地で中村愛媛県知事・野志松山市長のご臨席を賜り厳かに開催された。
この日は、秋山兄弟武道場で、秋山兄弟柔道部・合気道部の稽古始めも行い記念の餅搗きを行った。偶然来館したお客さんに搗きたてのお餅を振舞い美味しく賞味する事が出来いい時に秋山邸に来たものだと喜んでいた。

今日は、連休であり全国の秋山フアンは、好古さんは生誕154年になるのか、生前はご苦労様でしたと、好古騎馬像に対して言葉を掛ける来館者もいた。
好古顕彰活動は、地元松山は元より、千葉県習志野市大久保・新潟県新潟市では「秋山好古と新潟の人びと・著者、神田勝郎氏」「秋山好古と習志野・著者、山岸良二氏」の書籍が刊行され両市では著者が講師になり人間として有意義な人生を送った事に感銘を受け両市で講演活動を展開している。

註1:好古は、安政6年(1859)伊予松山藩徒歩目付けの秋山家3男として、現 秋山兄弟生誕地に誕生した。

福沢諭吉の「学問のすすめ」に共感し青少年の教育推進に教育者を目指し大阪師範学校に学び卒業後、名古屋師範学校付属小学校に赴任したが、郷土の先輩、和久氏と名古屋鎮台山本武官の強い勧めで陸軍士官学校に入学し日本の騎兵隊を創設、日本騎兵の父と言われた。

その後大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大元帥(大正天皇)は驚いた。未だかって元帥を辞退した者はいなかったからだ。大元帥は元帥を辞退した秋山大将に、特旨として官位従二位を与えた。

好古は、官位従二位を拝命し大正13年郷里の伊予松山から強い要望に答え北豫中学校長として昭和5年3月まで本来の教育者として勤務し同年3月北豫中学校長を辞任、11月4日東京・陸軍軍医学校で永眠(享年72歳)現在東京青山霊園に眠っている。
註2:秋山好古の信条、「明瞭、簡単、質素、倹約、そして人は心穏やかで豊かであり、元気な間は、働くべき、仕事はその気で探せば幾らでもある」
画像は、秋山好古生誕154年祭の様子である。


秋山好古生誕154年祭、カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街、三橋正文理事長からの寄贈。


秋山好古生誕154年祭開催にあたり挨拶をする、財団法人常盤同郷会、平松昇理事長。(財団法人常盤同郷会は、秋山兄弟生誕地の管理運営母体)


好古生誕154年祭、来賓の挨拶をする中村愛媛県知事、今年も挨拶の内容が素晴らしかった。


好古生誕154年祭、来賓の挨拶をする野志松山市長・・今年も中村知事・野志市長、揃って生誕祭に臨席くださった。


来賓の挨拶を聞く、秋山兄弟柔道部・合気道部関係者。


柔道部、合気道部の稽古始めに先立ち鏡開きを行った。


柔道部、合気道部の稽古始め。


柔道部が中村知事・野志市長との稽古始の記念にと一枚。


続いて、合気道部が中村知事・野志市長との稽古始の記念にと一枚。


生誕祭、式典も無事終了し恒例の餅搗き、先ずは最初に杵を持ち力強く餅を搗く中村時広愛媛県知事。


続いて二番手、野志松山市長が搗いた。


秋山邸の近くにある検番から今年も4名の芸子さんがお祝いに駆けつけた。
好古さん、今年も来てくれて、だんだん。


好古さん生誕154年祭おめでとうございます。男性は、秋山兄弟生誕地宇都宮運営委員長。


芸子さんも記念の杵を持ち一搗・・同僚の芸子さん曰く、もっと力を入れて搗きなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする