EEKの紀行 春夏秋冬

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平成最後の夏の終わりに・川附川堤防大清掃

2018年09月21日 | 伊予松山歴史散策

今年の夏は、極暑で大変な夏であった。JA各地では、豪雨被害、台風被害、大阪北部地震、北海道胆振東部地震等で甚大な被害が発生し、市民生活や公共の施設の復旧が遅れ、特に電気の復旧はかなり回復しているようだが、生活水の復旧が遅れている。

そんな中で、朗報もありホッとした事が起きた。「尾畠春夫さん」により、山口県の藤本理稀ちゃんが見つかった事、全国高校野球選手権記念大会で秋田県立金足農業高校の活躍、そして全米オープンテニスで、大坂なおみ選手の優勝で日本国民が祝福を送りその余韻が続いているなか、凱旋し東レパンパシフィックオープンテニスに参加、2回戦を勝ち今日準々決勝に臨む。

さて、先日の朝(9月15日・土曜日)いま全世界で問題しされているプラスチック製品の排出曜日になっており所定の場所に持参した。その場所は、我が家の近くの川附川堤防北側(天山の東麓)にある。すると若い女性一人がゴミ袋とゴミ取りばさみを持って清掃していた。私は声を掛けた「暑いのにご苦労様と」今日は、年2回川附川沿川の松山市天山町と東石井町の住民、それと社会福祉関係を経営しているアトムグループの皆さんが清掃する日であった。

アトムグループの一つ「老人保健施設レンゲ荘」入口に関係者が居られたので話を伺った。清掃活動の範囲と対象者は、松山市天山町と東石井町の川附川沿川の住民たちで、「孝田橋」から「伊丹十三記念館」前までの両岸400mを約75名の人々が清掃活動をしていた。清掃は毎年、早春と早秋に行い今年は第30回目の清掃だそうで15年間の清掃活動が継続している。清掃した後を見てみると、彼岸花の蕾が膨らみ開花近い状態であった。極暑であった平成最後の夏の終わりを感じた。

川附川の北側堤防に掲示してある告知板で、伊丹十三記念館の向かい側堤防にある。

川附川は、1級河川重信川の支流の一つで、伊丹十三記念館南側の小野川に合流し、下流約6kmで石手川と合流、そして重信川に合流し瀬戸内海の伊予灘に流れる川である。掲示板には400mと記載してあるが、実測すると500mある。

清掃範囲は、500mX2=1kmとなる。

川附川沿川の住民、松山市天山町と東石井町の住民と福祉施設アトムグループの職員約75名がの皆さんが参加しての大清掃活動。

川附川南側堤防で、この道は車の走行が多く最近幅員が拡張された。

川附川堤防の清掃をされる範囲は、伊丹十三記念館前から、レンゲ荘と表示しましたがこの間を清掃している。画像に天山と表記した山が、奈良県の天の香久山との姉妹の山「天山」である。

天の香久山のある、奈良県橿原市南浦町と、天山のある松山市天山町の住民は、昭和52年5月8日から姉妹町の交流が始まり、天山山頂広場には記念碑が建立されている。

参考までに:画像は、奈良県橿原市南浦町にある天の香久山で、日本100名城巡り第48番松坂城から第61番高取城に移動の途中撮影した。

参考までに:松山市天山町にある天山。我が家から撮影。

天山山頂には天山神社があり、拝殿南側に建立されている「奈良県橿原市南浦町にある天の香久山」との姉妹町記念碑が建立されている。

参考までに:天山の位置図で今回取り上げた清掃範囲は、天山の南面の一部である。

画像は、上が北方向、下部が南方向。

松山市は、昭和50年から7月に市民一斉大清掃を毎年実施いているがこれは行政(御上)からの企画で行われた松山市の年中行事の一つで参加しなければだが、川附川沿川の大清掃は地元民からの発想で気持ち・心が入っている活動である。

参考までに:伊予松山城天守で、今年(9月1日現在)行って良かった日本の城に第3番目に選ばれた。

この松山城天守が一番綺麗に見える場所が、天山山頂である。画像は、天山山頂から撮影。

初代伊予松山藩主、加藤嘉明が伊予松山城築城に際し、徳川家康に築城第一候補地に挙げたのが天山で、第二候補地が勝山、現在の松山城、第三候補地が御幸寺山で申請した結果、家康は第二候補地の勝山に築城許可が下り築城したとの逸話が残っている。

川附川北側の堤防で清掃が終わり綺麗になった。左側の森は、記紀に書かれてある由緒ある「天山」である。

先日、清掃に先立ち堤防の草を草刈り機で刈り取り、9月15日、沿川の住民が出てきめ細かい清掃活動をした。

雑草を刈り取った後、待ち構えていたかのように彼岸花が芽を出した。

先日、9月15日、暑い中清掃活動をする沿川住民たち。

これからの画像は、川附川北側の堤防の四季の風景である。

毎年4月になると画像の様に堤防には菜の花が咲き、染井吉野桜が咲く気持ちのいい心和む散歩道となる。

沿川住民の清掃の賜物である。

4月の時期にはこのような風景になる。

2月から4月に掛けては菜の花が咲き、素晴らしい散歩道となる。

北側の堤防は、殆ど車は通らないので近くの皆さんの散歩道で、犬を連れて散歩をする人が多く以前は犬の糞をそのままにして帰る心無い愛犬家がいたが、糞は持ち帰りましょう啓発運動が実り、いまは殆どなくなったが、未だ心無い愛犬家がいる。

4月になると画像の様な景色を見ながら気持ちのいい散歩道となり記念の写真を撮る人もいます。

6月になると紫陽花が咲く、以前は沢山紫陽花があったが、河川の堤防なので土が乾き水不足で枯れ、元気な紫陽花が数本だけ残っている。

この川には、画像の様なカワセミが飛んで来る。

先日、雑草を刈り取った後、待ち構えていたかのように彼岸花が芽を出した。

この時期になると、夏とお別れをして秋になり彼岸花の時期になる。画像は先日撮った彼岸花で、蕾が膨らみ開花間近である。(撮影は、9月15日)

芽を出した彼岸花は数日後開花した。

川附の堤防に咲く彼岸花は、朱と白の花がうまく交じりあって咲いている。

 

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