司馬遼太郎が10年の歳月を掛けて書き上げた代表作「坂の上の雲」を原作として、NHKが総力を挙げて10年掛かりで制作、平成21年から平成23年の3年間渡って放送したスペシャルドラマ「坂の上の雲」をもう一度全てを通しで見たいとの声が秋山兄弟生誕地を訪れる全国の秋山兄弟愛好者からの声が多くあり、昨年5月から「坂の上の雲再放送」をNHKさんに再放送をお願いする署名活動を開始しました。秋山兄弟と関係の深い、新潟市、習志野市、平塚市、竹田市の関係者、秋山兄弟生誕地にお越しいただいた皆様からの沢山の署名を頂き、あの場面と感動が再び全国各地で呼び起される事を願って署名簿を添付してお願いいたしました。
NHKさんは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂きました。
前回放送は、第1回から最終回まで全13回を3年掛かりでの放映でしたが、再放送希望として通しで見たいとの願いを叶えて頂きました。
再放送開始は、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・各45分で半年間に渡り放映して頂く事が決定しました。楽しみにして視聴いたします。再放送を叶えて頂き有り難うございました。皆さん是非見て下さい。
3万人を超える署名簿を添付してNHK松山放送局に「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」の陳情した時の写真。
右から、竹田祥一愛媛県議会議員・野志克仁松山市長・中村時広愛媛県知事・宮村泰司NHK松山放送局副局長・平松昇公益財団法人常盤同郷会理事長・宇都宮良治同常務理事。
NHK松山放送局に提出された「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」を願う30033人の方々の署名簿。
公益財団法人常盤同郷会「秋山兄弟生誕地事務局本部にて撮影」。
TVニュースで放映する前にNHK松山放送局から内示として
「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」決定の資料が秋山兄弟生誕地事務局に届いた。
坂の上の雲再放送決定を放映した平成26年8月29日NHKニュースの一場面。
平成21年11月29日放映開始時のNHK松山放送局から頂いた絵葉書。
平成21年11月29日放映開始時のNHK松山放送局から頂いた登場人物の絵葉書。
松山市歩行町二丁目三番地6にある秋山兄弟生誕地全景。
平成17年1月18日、全国の秋山兄弟の支援者からの醵金で完成しました。
平成19年10月11日NHKスペシャルドラマ坂の上の雲ロケに入る前に秋山兄弟生誕地を訪れられました秋山眞之を演じられた本木雅弘さん。言葉遣いが丁寧で礼儀正しく物腰の低い素晴らしい人柄でした。
昭和11年1月11日、秋山好古騎馬像が、道後公園に建設された。しかし、昭和18年先の大戦金属供出で潰された。
大正12年、大元帥(大正天皇)から特旨として官位従二位を授与され、大正13年3月松山の北豫中学校長として赴任、
昭和5年3月まで務めた。陸上部が優勝した時の記念の写真。好古校長の教育方針としてスポーツを通して中等教育を行う一つのカリキュラムであった。
昭和4年3月を持って北豫中学校長を辞任し、東京に帰るつもりで、奥さん(多美さん)を東京から呼ばれ松山の皆さんに夫婦で挨拶をして帰るつもりであったが、北豫中学校の井上理事長が退職願いを受理せず、退職が1年延期となる。
昭和4年8月、東京から来られた奥さんと北条鹿島に行った時の記念写真。
千葉県船橋市の陸上自衛隊習志野駐屯地にある、秋山好古揮毫の石碑「軍馬慰霊之碑」、昭和5年3月、北豫中学校を退職し東京の自宅で、入院直前の昭和5年10月5日の揮毫である。石碑の建立は昭和5年11月で、好古は同年11月4日、陸軍病院で永眠(72歳)軍馬慰霊之碑が絶筆となった。この地には、大正5年12月、東京麹町にあった陸軍乗馬学校が移転され好古は、第2代目の陸軍乗馬学校長を務めた由緒ある地である。
新潟市江南区沢海にある好古揮毫の石碑「忠魂碑」で建立は大正2年7月、揮毫は、大正2年好古が、第13師団長として新潟県高田に居た時に新潟県伊沢知事からの要請で「忠魂碑」を揮毫した。この石碑が、今年4月8日、新潟市民文化遺産に認定された。
秋山眞之の胸像で、東京目黒にある海上自衛隊幹部学校に保管されている。
松山の秋山兄弟生誕地にある眞之の胸像は、このコピーである。平成17年5月12日、海上自衛隊の許可を得て撮影した。
NHKさんは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂きました。
前回放送は、第1回から最終回まで全13回を3年掛かりでの放映でしたが、再放送希望として通しで見たいとの願いを叶えて頂きました。
再放送開始は、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・各45分で半年間に渡り放映して頂く事が決定しました。楽しみにして視聴いたします。再放送を叶えて頂き有り難うございました。皆さん是非見て下さい。
3万人を超える署名簿を添付してNHK松山放送局に「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」の陳情した時の写真。
右から、竹田祥一愛媛県議会議員・野志克仁松山市長・中村時広愛媛県知事・宮村泰司NHK松山放送局副局長・平松昇公益財団法人常盤同郷会理事長・宇都宮良治同常務理事。
NHK松山放送局に提出された「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」を願う30033人の方々の署名簿。
公益財団法人常盤同郷会「秋山兄弟生誕地事務局本部にて撮影」。
TVニュースで放映する前にNHK松山放送局から内示として
「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送」決定の資料が秋山兄弟生誕地事務局に届いた。
坂の上の雲再放送決定を放映した平成26年8月29日NHKニュースの一場面。
平成21年11月29日放映開始時のNHK松山放送局から頂いた絵葉書。
平成21年11月29日放映開始時のNHK松山放送局から頂いた登場人物の絵葉書。
松山市歩行町二丁目三番地6にある秋山兄弟生誕地全景。
平成17年1月18日、全国の秋山兄弟の支援者からの醵金で完成しました。
平成19年10月11日NHKスペシャルドラマ坂の上の雲ロケに入る前に秋山兄弟生誕地を訪れられました秋山眞之を演じられた本木雅弘さん。言葉遣いが丁寧で礼儀正しく物腰の低い素晴らしい人柄でした。
昭和11年1月11日、秋山好古騎馬像が、道後公園に建設された。しかし、昭和18年先の大戦金属供出で潰された。
大正12年、大元帥(大正天皇)から特旨として官位従二位を授与され、大正13年3月松山の北豫中学校長として赴任、
昭和5年3月まで務めた。陸上部が優勝した時の記念の写真。好古校長の教育方針としてスポーツを通して中等教育を行う一つのカリキュラムであった。
昭和4年3月を持って北豫中学校長を辞任し、東京に帰るつもりで、奥さん(多美さん)を東京から呼ばれ松山の皆さんに夫婦で挨拶をして帰るつもりであったが、北豫中学校の井上理事長が退職願いを受理せず、退職が1年延期となる。
昭和4年8月、東京から来られた奥さんと北条鹿島に行った時の記念写真。
千葉県船橋市の陸上自衛隊習志野駐屯地にある、秋山好古揮毫の石碑「軍馬慰霊之碑」、昭和5年3月、北豫中学校を退職し東京の自宅で、入院直前の昭和5年10月5日の揮毫である。石碑の建立は昭和5年11月で、好古は同年11月4日、陸軍病院で永眠(72歳)軍馬慰霊之碑が絶筆となった。この地には、大正5年12月、東京麹町にあった陸軍乗馬学校が移転され好古は、第2代目の陸軍乗馬学校長を務めた由緒ある地である。
新潟市江南区沢海にある好古揮毫の石碑「忠魂碑」で建立は大正2年7月、揮毫は、大正2年好古が、第13師団長として新潟県高田に居た時に新潟県伊沢知事からの要請で「忠魂碑」を揮毫した。この石碑が、今年4月8日、新潟市民文化遺産に認定された。
秋山眞之の胸像で、東京目黒にある海上自衛隊幹部学校に保管されている。
松山の秋山兄弟生誕地にある眞之の胸像は、このコピーである。平成17年5月12日、海上自衛隊の許可を得て撮影した。
NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送決定にちなみまして、当館で開催中スペシャルドラマ坂の上の雲再放送決定のイベント、神山育子さんの回顧展「こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙」を紹介いたします。
瑞穂町小学校教諭であった神山育子さんは、司馬遼太郎氏が教科書向けに書いた「洪庵のたいまつ」「21世紀を生きる君たちへ」を教材に熱心な課外授業を行いました。学習の仕上げとして司馬氏に感想文を送ったところ返事が届き、そこから数年にわたり司馬氏と子供たちの交流が始まった。
この回顧展では、児童の感想文や司馬氏との交流に関する資料を神山さんの著書「こどもはオトナの父 司馬遼太郎の心の手紙」とともに展示しています。
この回顧展は、9月16日まで瑞穂町郷土資料館の企画展示室にて行われます。詳細は、瑞穂町郷土資料館のホームページ( https://www.mizuhokyodo.jp/)をご覧ください。