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伊予松山藩歴代藩主の家系を見る 8 松平定喬(第6代藩主)

2010年11月04日 | 往年の名車 メグロ
伊予松山藩歴代藩主の家系を見る 8 松平定喬(第6代藩主)

第5代藩主を継承した、松平定喬(さだたか)は第4代藩主定英の長男である。
藩主就任後僅か10日後に藩政に大変動が起こり家老職の更迭が断行されている。
それは、享保の大飢饉と定英の逝去が原因で久万山騒動が勃発、大飢饉の余波で農民の経済は良好でなく、年貢の負担が重くのしかかっていた。

この危機を大宝寺住職(四国ヶ所第44番札所)の斡旋で解決したが、家老、重臣の一部は処分されている。
定喬の時代も苦難の時代での立て直しに苦労している。
宝暦13年(1763)48歳で逝去した。従4位 侍従 隠岐守。
藩主は第7代松平定功に継がれる。

 画像は、松山城野原櫓で、乾櫓の東の本丸石垣に臨んで建てられ、北側搦め手を防御する。
櫓は1階の上に2階を載せ、通し柱は無く、大屋根の物見櫓から発達した望楼起源説の名残を残すものとして注目されている。

松山城最古の建物で豪放な木割で、礫詰めの太鼓壁、化粧屋根裏の構造と石落とし・狭間の備えを含築城当初の面影をよく残す貴重な建物である。
内部見学は年に一度お城祭り以外に見る事は出来ない。

建築時期は、慶長期、初代藩主加藤嘉明時代の建造で一番古い櫓である。

昭和10年5月13日国宝に指定されたが、昭和25年5月、文化財保護法の制定により重要文化財に指定された。
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