「キミの将来を思って」
という言葉には思惑が入りやすい、と常々思ってきました。
少なくともこの言葉を吐く個人の思惑が入りますよね。どんなに真剣に、自分の都合を考えずにその人のことだけを考えた結果言う場合ですら、その思惑からは逃れられません。聞く方は注意が必要です。
思惑には個人レベルだけでなく、地域の、病院の、医局の、など各レベルのものが入り込みやすい。
だんだん年取ってきて、若者に対してこの言葉を吐く機会が増えるようになりました。言わないと動かないせっかくの素晴らしい能力が開花しないままの人、ここを直せばもっと得するのにと思う人が結構いるからです。自身の歴史を振り返っても、ガツンと言われて始めて動き出すこと、修正することが幾度となくありました。「ボクの将来を思って」言ってくださって本当に感謝しています。
自分が言うときには、できるだけ“思惑”が入らないように、純粋に「キミの将来を思った」結果を話すようにしていますが、自信がありません。医局というのはいろいろな指向を持った人の集合体なので、メンバー全員の願いを100%叶えることも難しいからです。どうしても我慢してもらうこと、すなわち医局レベルの思惑が生じます。
我慢を最小限に、かつ我慢してもらうからには何か必ず個人が成長する収穫があるように心がける、ことで対応しようと考えています。
先生のように考えて下さる人がいる組織であれば、医局というのはもっといい方向に行けるのではと思うことが多々あります。
自分の道は自分で決めるものだとは思いますが、個人の成長を考えてくれる医局というのは非常に少ないと思います。
医局人事というのはやはり難しいところです。先生はそういうことはないと思いますが、「君の為を思って」言う助言には必ず裏があり、助言は聞きませんでした。
先人のいうことは聞くのはほどほどにしたほうがいい時もあるように思います、、、
自分が10年後をちゃんと見据えているか、まだ分かりませんが。
アドバイスする人の助言は自分史バイアスから逃れれることができません。
しかし、自分と波長の合う、尊敬できる先輩、上司はいるはずで(話すとわかりますよね)、その人の言葉は重く受け止めるとよいのではないでしょうか。