昨日から続く。
『感情』を込めることにおいて少し追記したい。
私は小林一茶の俳句「すずめの子」を吟じることがある。
「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」と吟じていくと、
私がまだ幼児の頃、祖父母の山間の実家の広い庭で
放し飼いのニワトリを追いかけながら竹馬で遊んだ情景がいつも頭の中に蘇ってくる。
懐かしい限りである。祖父母も逝き、その庭は高速道路になり、すっかり様変わりであるが、
当時の情景は切り取られた一コマとして脳裏に残っている。
普段はその一コマは出てこないが、「すずめの子」を吟じる時だけ現れてくる。
誰にでもきっとその様な体験があるでしょう。
この様な気持ちになれることが、きっと『心にしみ入る吟詠』あるいは『時を越え、
今もなお心に蘇りくる吟詠』と呼ばれるもので、それが真に吟道精神そのもので『気』なのであろう。
『気』とは、吟じる詩文に関係なく、
全てに通じてその込められた迫力を持って喜怒哀楽を表現することであると解釈している。
私も『気』を心身で感じ、外部へ影響出来る様に自信持って言動をおこしたい。
明日に続きます。
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