今年は、モーツァルト生誕250年ということで、クラシック・ファン以外にももてはやされていますが、ショスタコーヴィチ生誕100年の記念の年でもあるそうです。
そこで、《交響曲第10番》について
スターリンは、《交響曲第9番》はどの作曲家も大作だから、その副題に
「スターリン」と付けて欲しかったようですが、ショスタコーヴィチの肩透かしの
諧謔的な曲想を聴いて、いたく失望したとか激怒したとか・・・?
ロシアやロストロポーヴィッチの解釈とは別に、私の聞き取った10番の“解釈”では、
1楽章はまさにスターリンの圧制に対する国民、特に文化人の鬱屈。
2楽章は茶坊主批評家達のありとあらゆる批判と中傷の嵐。
3楽章は、例のホルンのファンファーレがショスタコーヴィチの名前を織り込んだものでは
と言われている様に、自らの断固たる意志の表明と明るい展望。
4楽章は圧制を打破して(くぐり抜けて?)勝利への道筋。
という感じです。
如何でしょうか?
私は1楽章が好きですね。いかにも圧制に耐えているという雰囲気で・・・。
「冒頭部分は退屈かもしれません」どころか引き込まれます。
ロジェストヴェンスキー、カラヤン、フェドセーエフ、などの演奏を持っています。
ちなみにベートーヴェンの第9も1楽章が一番好きですね。
2006Jan17
そこで、《交響曲第10番》について
スターリンは、《交響曲第9番》はどの作曲家も大作だから、その副題に
「スターリン」と付けて欲しかったようですが、ショスタコーヴィチの肩透かしの
諧謔的な曲想を聴いて、いたく失望したとか激怒したとか・・・?
ロシアやロストロポーヴィッチの解釈とは別に、私の聞き取った10番の“解釈”では、
1楽章はまさにスターリンの圧制に対する国民、特に文化人の鬱屈。
2楽章は茶坊主批評家達のありとあらゆる批判と中傷の嵐。
3楽章は、例のホルンのファンファーレがショスタコーヴィチの名前を織り込んだものでは
と言われている様に、自らの断固たる意志の表明と明るい展望。
4楽章は圧制を打破して(くぐり抜けて?)勝利への道筋。
という感じです。
如何でしょうか?
私は1楽章が好きですね。いかにも圧制に耐えているという雰囲気で・・・。
「冒頭部分は退屈かもしれません」どころか引き込まれます。
ロジェストヴェンスキー、カラヤン、フェドセーエフ、などの演奏を持っています。
ちなみにベートーヴェンの第9も1楽章が一番好きですね。
2006Jan17