醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1044号  白井一道

2019-04-02 12:49:40 | 随筆・小説



   元号を考える


侘助 「春寒し昭和は遠くなりにけり」。今朝の風は寒かった。ゴミ出しに出た帰り突然句が湧いた。
呑助 今朝、風が冷たかったですね。句が湧いた。そうですか。「降る雪や明治は遠くなりにけり」。中村草田男は昭和6年にこの句を詠んでいますね。
侘助 我々にとっての昭和は輝いていたように思うな。毎年、給料が一万円上がっていった。年度末には差額がボーナスと同じくらい出ていたな。
呑助 そんな時代でしたね。世界第二位の経済大国になったのが1968年、昭和43年でしたかね。
侘助 2010年、中国のGDPが日本を追い抜き、日本は世界第三位の国になった。日本は42年間世界第二位の経済大国であった。国民の生活水準も上がり、豊かな大量消費の大衆社会が実現した。
呑助 このような時代が続いたのは戦争を日本がしなかったということですね。
侘助 そう、日本は戦争の後方基地として活躍し、太平洋戦争の戦後復興を成し遂げた。1945年8月8日、ソ連は対日宣戦布告を行い、翌9日、一斉に150万の軍が国境を越えて満州に、樺太、千島列島に進撃してきた。この結果、国後、択捉、歯舞、色丹に居住していた日本人が故郷を奪われた。シベリアに抑留された日本兵の苦しみ、沖縄が米軍に接収され、農民たちの土地が奪われた。広島、長崎には原爆が落とされ、多くの日本人が殺された。東京の街は1945年3月10日の米軍B29の大空襲によって10万人以上の日本人が焼き殺された。1945年、この敗戦の年が新しい時代の始まりだった。それから五年後の1950年には朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮側が南朝鮮解放戦争を始めたのだ。ヤルタ協定によって米英に要請された戦争に悪乗りしたソ連のスターリンが1949年に成立した中華人民共和国主席毛沢東の支持を得て始めた戦争だった。朝鮮人の苦しみは骨身に応えた。この朝鮮戦争特需で日本経済の戦後復興は始まった。朝鮮戦争が1953年に休戦協定が結ばれる。1954年にはベトナム、ディエンビエンフーでは第一次インドシナ戦争におけるベトミン軍とフランス軍との最大な戦闘が戦われていた。この戦いで敗北を喫したフランス軍はベトナム民主共和国政府とジュネーブ和平協定を調印し、北緯17度線を境に休戦協定を結び、戦火が止んだかに見えたが、南ベトナムにおいて南ベトナム解放民族戦線が結成されるとベトナムが共産化すると東南アジア全域が共産化するというドミノ理論をアメリカ政府は外交政策の基本にしていたのでアメリカ軍がベトナムに乗り込んでくる。アメリカ政府は宣戦布告することなくベトナムに介入してきた。以来1975年まで1945年に第二次世界大戦が終わってから30年間ベトナムでは戦争が続いた。朝鮮戦争、第一次インドシナ戦争、第二次インドシナ戦争ともいわれるベトナム戦争、ベトナム人は抗米救国戦争と呼ぶ戦争が日本経済を潤し、日本は世界第二位の経済大国になった。1980年代は日本経済の黄金期だった。
呑助 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の時代ですか。この時代は朝鮮やインドシナの戦争特需によって築かれた経済基盤の上に咲いたアダ花、「風をだに待つ程もなき徒花(あだばな)は枝にかかれる春の淡雪」ですか。
侘助 1989年平成の時代に入る。
呑助 1989年というとベルリンの壁が崩壊した年ですね。
侘助 1990年には東西ドイツが統一する。1991年になるとソヴィエト連邦が崩壊する。日本のバブル経済も崩壊する。
呑助 「失われた20年」と言われる時代が平成の時代ですね。
侘助 小さな島に大勢の人がいるというのが日本だからね。教育を充実することによって国民の知的レベルの向上をはかることが惹いては経済成長を促すのではないかと思う。日本酒に例をとるなら、三増酒のような安い酒を大量に生産し、大量に売ることをしていては未来はない。
呑助 高級品志向ですか。
侘助 そうだよ。高級品を少量多品種創ることが日本の生きる道だよ。勤労者の賃金を高くする。国民の懐を温かくする。このような経済政策をすることが大切だったのに、新自由主義経済政策は全く逆の方法だった。