日本資本主義の父ー渋沢栄一
日本政府を代表して麻生太郎財務大臣は4月9日、1万円・5千円・千円のそれぞれの肖像デザインと5百円硬貨を刷新する方針を記者会見で発表した。
この発表を受けて朝鮮日報日本語版の記者イ・ギョンミンさんは次のような論評をした。
日本が「令和時代」に合わせて発行する新しい紙幣のうち、1万円札の顔となる人物が、日本による植民地時代に韓半島(朝鮮半島)の経済を奪い取った主役だったことが分かり、波紋を呼んでいる。
日本の麻生太郎副総理兼財務相は9日の記者会見で、紙幣の図案を全面的に刷新すると発表し、1万円札には渋沢栄一 (1840-1931)の肖像画を採用することを明らかにした。
渋沢栄一は韓国の歴史でもよく知られた人物だ。日本による植民地時代の1902~04年に大韓帝国で発行された最初の紙幣に渋沢の顔が描かれていたからだ。渋沢は日本で設立した第一国立銀行を韓半島に進出させ、日本による利権収奪を主導した。当時、渋沢は第一銀行を大韓帝国の中央銀行にするという野心を抱いていたが、韓国統監だった伊藤博文がこれを阻んだ。渋沢は代わりに、第一銀行の紙幣に自身の肖像画を入れて恨みを晴らしたのだ。
渋沢は日本では実業家として仰がれた人物だが、韓半島では植民地時代の経済収奪の主役とされている。渋沢は植民地収奪の柱だった貨幣発行と鉄道敷設の二つの事業を主導した。京仁鉄道合資会社を設立し、我が国の至る所で資源を収奪して日本に送った。 また、黄海道(現在は北朝鮮側)に農業拓殖会社を設立して朝鮮人の小作人から小作料を過剰に搾取し、黄海道の小作争議(農民運動)を触発した。
日本政府が新紙幣の人物として渋沢栄一を採用したのは、安倍政権の歴史否定の基調が反映されたものとの解釈も出ている。安倍首相は長期政権を実現するために、戦後の反省を否定する歴史観を前面に出してきた。韓国大法院(最高裁判所に相当)による強制徴用賠償判決、歴史教科書歪曲(わいきょく)などによって韓日関係が悪化する中、日本の今回の決定は摩擦をいっそう激化させるとの見方も出ている。
一方日本国内にあっては次のような渋沢栄一像がある。
「渋沢は、徳川時代の士農工商という身分制度を撤廃し、誰もが平等に、自主的に日本社会の諸活動に参画することができ、議論を尽くして物事を決めると言う『万機公論に決す』の精神を重視し、数多くの分野で公益の増大を追求した。渋沢は、欧米諸国の民主主義社会を基盤として資本主義を『合本主義』と捉えた。合本主義とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方である。渋沢は軍事力を行使するのではなく民主的な方法により日本社会を発展させ、経済的な豊かさを実現しようとした。」
『渋沢栄一』木村昌人著
又、小笠原遥ハフポスト日本版記者は次のような論評をしている。
唱えたのは「道徳経済合一説」
日本経済や資本主義の発展に功績を残した渋沢栄一が唱え続けたのが、「道徳経済合一説」だ。
これは、「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」という考えであり、現在の「企業の社会的責任」にも広く通ずる考え方であった。
確かに渋沢栄一は道徳的に優れた倫理観を持った企業経営者であったのだろう。しかし資本主義経済の仕組みには非人間的な非情さがある以上、渋沢栄一の主観ではどうにもならないものがあった。資本主義経済における企業経営とは、公益の追求だという渋沢の主張は正しい。公益の追及であるからこそ社会の中で存続することができる。公益の追及が同時に私的利益の追求でもある。ここに資本主義経済の本質がある。渋沢は公益を追及することによって私腹を豊かにした。私的利益の追求が交易の追及の陰に隠れている。赤裸々な私的利益の追求を人々は忌み嫌った。貨幣経済が普及するのに伴って利子をとることをキリスト教徒もイスラム教徒も嫌った。お金に困っている人は助けるべき対象であるのがキリスト教徒やイスラム教徒の倫理観だ。シェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』が表現した世界は守銭奴を嫌うキリスト教世界の話だ。守銭奴の資本主義をパーリアキャピタリズム、資本主義というと昔教わった記憶がある。重商主義時代の資本主義から産業資本主義経済社会になると公益の追及の陰に私的利益の追求が隠れてしまう。産業革命が公益を追求する資本主義経済を作り上げた。渋沢栄一もまた赤裸々な私的利益の追求を嫌う倫理観を持った資本主義経済の企業経営者であった。が、資本に心を奪われた企業経営者であったがゆえに日本が植民地支配した朝鮮人の方々には鬼のような極悪人であった。朝鮮人の富を奪った忌み嫌う人間、渋沢栄一であったのだろう。