醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1047号   白井一道

2019-04-05 12:54:50 | 随筆・小説



 杜鵑(ほととぎす)鳴音や古き硯ばこ   芭蕉



句郎 この句には前詞がある。「不卜一周忌 琴風興行」とある。
華女 芭蕉は不卜さんと付き合いがあったのね。
句郎 不卜は江戸の貞門派の俳人だった。
華女 琴風さんが興行した俳諧の発句として芭蕉が詠んだ句が「杜鵑(ほととぎす)鳴音や古き硯ばこ」だったということなのね。
句郎 杜鵑の鳴き声に芭蕉がイメージしたものはどのようなことだったのかな。
華女 現在の俳人や歌人にはなじみの鳥ではないように思うけれども万葉の時代から古今集、芭蕉に至るまで読み続けられてきた鳥よね。
句郎 万葉集にもホトトギスを詠んだ歌があるんだ。
華女 志貴皇子(しきのみこ)の歌、「神奈備(かむなび)の、石瀬(いはせ)の社(もり)の、霍公鳥(ほととぎす)、毛無(けなし)の岡(をか)に、いつか来(き)鳴(な)かむ」という歌があるわ。大伴家持もホトトギスを詠んだ歌が58首もあるそうよ。
句郎 古今集の歌人たちはどのような歌を詠んでいたのかな。
華女 平安期を代表する歌人であり、三十六歌仙の一人、紀貫之がホトトギスを詠んだ有名な夏の和歌があるわ。「夏の夜の 臥すかとすれば 郭公 鳴く一声に 明くるしののめ」。夏の夜の短さを詠んだ歌ね。一声、二声、ホトトギスは一晩中どこでも鳴く鳥よね。
句郎 芭蕉は万葉の時代から読み継がれてきたホトトギスのイメージを継承しているということなのかな。
華女 そうなんじゃないのかしら。芭蕉の俳句は万葉集、古今集、新古今和歌集の伝統を継承、発展させた俳句を詠んだということだと思うわ。
句郎 芭蕉は日本文学の正統な継承者だということがいえるように思うね。
華女 問題はどのように継承し、発展させたのかと言うことなのよね。
句郎 まさにその通りだと思う。『古今集』の中の「俳諧歌」があるでしょ。その中に「いくばくの田を作ればか時鳥しでの田長(たをさ)を朝な朝な鳴く」と詠んだ藤原敏行の歌がある。この歌は何を詠んでいるのかというと、田植えの指揮をする村の長老に早く田植えをするようにと、ほととぎすが鳴いているという意味のようだ。
華女 渡り鳥のホトトギスが鳴き始めると農民たちは田植えを昔は始めたということなのね。稲作とホトトギスの鳴き声とは農民にとって密接に結びついていたのね。
句郎 宮廷歌人が詠んだホトトギスを農民や町人が詠むホトトギスにしたのが芭蕉だったのではないかと思う。
華女 「ほととぎすの兄弟伝説」を読んだことがあるわ。「昔、ほととぎすは弟と二人で暮らしていた。ある日、二人で山の芋を掘りに行き、弟が先に帰って掘った芋を煮ておくことになった。弟が煮え加減を見ようとひとつ食べてみるとたいそううまい。自分の分だけ食べようと、芋の悪いところだけ食べ、いいところは兄に残しておいた。しかし、帰ってきた兄は、弟がうまいところだけ食べたに違いないと疑って、弟がいくら言っても納得しない。そこでとうとう弟は「そんなに疑うなら自分の腹を割ってみろ」といい、兄は弟の腹を割いた。すると中から出てきたのはくず芋ばかり。兄は大変後悔して鳥の姿になって山に飛んで行き、「おととかわいや、ほーろんかけたか」と毎日鳴き続けた。ほととぎすの口の中が赤いのは、鳴きすぎて血を吐いているからだ。」このような話よ。
句郎 「杜鵑鳴音や」と「古き硯ばこ」との取り合わせの句を芭蕉は詠んでいる。ホトトギスは「特許許可局」とうるさく鳴き暮らしている。不卜さん、あなたは毎日、俳諧師として忙しく歩き回り、生きていました。本当にお疲れさまでした。硯を入れていた箱も古びてしまいました。どうか安らかにお休みください。この句は芭蕉の追悼句の一つになっている。
華女 芭蕉は貴族が詠んだホトトギスを農民や町人の生活を詠むホトトギスにしたということなのね。
句郎 そうなのではないのかな。鴫や鷺のような優雅な鳥に比べてホトトギスはその鳴き声に人々は耳を傾けてきた。その鳴き声は鶯のような美しい鳴き声ではなかった。「テッペンカケタカ」などと髪の毛の薄くなった人にとっては気になる鳴き声のようだからね。