徒然草33段 『今の内裏(だいり)作り出されて』
「今の内裏(だいり)作り出されて、有職(いうしょう)の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんこう)の日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんゐん)の御覧じて、「閑院殿(かんゐんどの)の櫛形(くしがた)の穴は、丸く、縁(ふち)もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり」。
今の皇居をお造りになって、儀式・作法・法令・服装など手本とすべき先例に通じた人々に見ていただいたところ、どこにも問題はないということで、すでに御移りになる日が近づいて来たところ、後深草天皇の妃が皇居をご覧になられて、「閑院殿(かんゐんどの)[平安京内に臨時に設けられた里内裏と呼ばれた皇居のこと]の櫛形(くしがた)の窓は丸く、縁もありはしませんでした」とおっしゃられたことには、恐れ入りました。
「これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり」
新しい皇居の櫛形(くしがた)の窓は、上に切り込みがあり、その切り込みに木の枠をはめていたので、これでは間違いだとして造り直されたという。
日本中世社会にあっては、儀式、作法、様式の先例が大事な社会であったということを学んだ。窓の造り、形までが踏襲されていく社会であった。新しい造り、形が排除される社会であった。こうして支配の体制が形つくられていたということを知ることができる。
完成した形には美しさがある。その美しさはどこからくるのかというと、無駄がないということだ。完成した形には無駄がない。無駄がない故に崩しようがない。形を整えることは無駄を省いていくことだからだ。
兼好法師の文章を読み、感じることは無駄のない文章だということだ。無駄のない文章だから美しい名文ということになるのだろう。兼好法師の文章を現代語に置き換えるにあたって一文が長いにもかかわらず無駄がないことに苦労している。当時の社会にあっては、省略したとしても十分通じ合える土台があったのであろう。
無駄がないということは、美しさを創り出す一つの重要な要素の一つであることは間違いない。屋根瓦や鬼瓦の形にしても無駄のない形だからこそ、美しい。屋根の上に鬼瓦を乗せる建物が存続する限り、形の同じ鬼瓦が造り続けられてきている。時代が変わり、鬼瓦を屋根の上に葺く様式が途絶え始めることによって鬼瓦の形も変わり、鬼瓦そのものもなくなっていく。
承久の乱によって天皇支配の体制は崩れているにもかかわらず、北条政権は天皇制そのものの息の音を断つことはしなかった。以後、支配の権威を持つ天皇と支配の実権を持つ武家政権による体制が整えられていく。天皇は昔の栄華を夢見て生きるようになる。その時代に兼好法師は生きている。廃れいく天皇支配体制を兼好法師は『徒然草』に書いている。その一つの現れが第33段のないようではないかと私は考えている。
新しい内裏、皇居が造られた時、皇后が窓の形、造り方が従来のものと違うことを指摘したという話だ。このような事態が生ずること自体が偶然のちょっとした間違いではなく、廃れいく皇居の姿として私は理解した。天皇制全盛の時代であったならば、このような事態は生じない。間違ったことをしたら厳しく罰せられる恐怖が建築現場を支配していたに違いない。そのような気の緩みがこのよう間違いを生んだのであろう。
兼好法師は意識して天皇支配体制の廃れいく事態を表現しようと思って書いているわけではないが、現実に起きていることを書くとそのことは天皇制が廃れていく姿を書くことになったということだ。天皇に纏わることを書いていくと必然的にその内容は天皇制が崩壊していく過程になったと言うことだ。本当に短い文章で兼好法師は14世紀前半の京の支配層の人々の社会を活写した一コマが第33段の話のように思う。
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