徒然草61段 『御産の時、甑落す事は、定まれる事にあらず』
御産(ごさん)の時、甑(こしき)落す事は、定まれる事にあらず。御胞衣(おんえな)とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。
高貴な方がお産をする時、家の棟から甑(こしき)を落とすと決まっていることではない。後産がなかなか下りない時の呪(まじな)いである。滞ることがない時には、この事はしない。
下(しも)ざまより事起りて、させる本説(ほんぜつ)なし。大原の里の甑を召(め)すなり。古き宝蔵の絵に、賎(いや)しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。
下々の人々の間からこのような風習が広まったのであり、真っ当な根拠があるわけではない。大原の里の甑をお取り寄せになる。宝蔵庫に保存されている古い絵に賤しい下々の人々が子を産み落している所に甑を落としている事が描かれている。
前近代の社会にあっては、呪術が社会を支配していた。前近代の社会にあって、子が誕生すること自身が奇跡であった。ただ経験的に男女が性的関係を取り結ぶと時には子が生まれるという奇跡が起きた。だから子は女性の子であり、女性の家族の子として育てられていた。
男女の性的関係が子の誕生ということを経験的に知っていただけである。だから女性が特定の男性としか性的関係を取り結ぶことをしないなら、生まれて来た子の父親が分かる。ここに女性に対して貞操観念を強制する社会が生まれて来た。貞操観念とは歴史的なものであり、女性が生れながらに持っている観念ではない。
女性の体は神秘に満ちた存在であった。分からないことばかりだったから神が支配する領域であった。女性の身体そのものに神の存在を前近代に生きた人々は感じていた。私の住む街に「女体神社」がある。この神社に今も初詣する人々は列をなす。カマドの神と申し、炊事料理の事を教え授けられた台所の守護神として崇敬され、病気退散の神としての信仰を集めたという。
前近代の社会にあって、出産は神事であった。神事であるが故にそこには複雑な呪術が創り上げられてきた。そうした呪術の一つとして甑を家の棟から落とすという呪術が14世紀前半の京都の街中の支配階級の人々の中にあった。その呪術は下々の人々の間にあった呪術が貴族と言われた人々の中に広がったと言うことに私は興味を覚えた。大原を大腹と読み、大原で使われていた甑を家の棟の上から落とすと女性の大腹から後産が降りるということなのだろう。身籠った女性自身も家の棟から甑が落ちる音を聞くと後産が降りると感じることがあったのだろう。こうしてのこのような呪術が広がったということのようだ。
このような呪術には特に大きなマイナス面はないようにも感じるが、呪術の中には女性の身体に大きなマイナスをもたらすものがある。そのような呪術の一つにアフリカ・イスラム世界にある女性の割礼である。性行為は妊娠・出産になる。しかし妊娠・出産とは無関係に行われる性行為がある。ここに性の世界の大きさがある。快楽のみを求めるための性の世界がある。ここに性の文化が花開く。性的欲望を刺激する踊りがある。最近日本でもはやり始めた踊りにサンバがある。女性の身体そのものが性的存在として動き出す。このような存在があるがゆえであろう。女性が性的欲望を持たないように身体改造をすることが女子割礼である。このような手術をした女性は性的欲望を失う。社会秩序を整えるという目的で女性の身体改造をする女子割礼は呪術の一つである。このような呪術は早急に廃止されるべき呪術の一つであろう。
人間の種の存続としての性がある一方、文化としての性、快楽を求める性がある。この快楽を求める性の中に人間の性の特性がある。動物の性には快楽のみを求める性はないようだ。なぜなら動物には繁殖期がある。その季節以外に動物は繁殖できない。食べ物や自然環境によって厳しく動物は制約されているが故に自由に繁殖できない。それに比べて人間は自然環境から自由であるが故に一年中出産、子育てができる。自由が人間に性の文化を創造させた。これは動物にはない人間の豊かさを示すものであると同時に人間に憂いや悲しみも与えた。この憂いや悲しみもまた人間の豊かさの一つなのだろう。
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