女であること
句郎 「女であること」。川端康成は1961年にこのような題名の小説を書いた。現在では小説にこのような題名はつけられるかな。
華女 ちょっと無理かもしれないような気がするわ。
句郎 当時にあっても、現代でも「男であること」というような題名を小説にはつけられないよね。
華女 そうね。「男はつらいよ」だったら今でも映画の題名になると思うわ。
句郎 今から六〇年近く前だったら、「女であること」というような題名の小説がありえたのかな。
華女 それは「女であること」が社会から求められている時代だったからじゃないかしらね。
句郎 そうなんだろうね。だから「男であること」が社会から特に求められていなかったから「男であること」という題名の小説は成り立たなかったんじゃないかと思うよ。
華女 今は昔ほど「女であること」が社会から求められていないということを感じるわ。
句郎 社会が女性に「女であること」を求めなくなったということは、良いことだよね。
華女 男女平等が進んだ結果、今度は逆に「男はつらいよ」ということが映画の題名になったのね。
句郎 そうなんだ。1960年代の男の子は「男になること」が求められていた。だから弱い男は「男になること」が辛かった。女はいいと思う男がいたよ。何といっても男は戦争になったら行かなくちゃならないというような脅迫観念とか、いい大学に行かなくちゃ、将来家族が養えないぞと言うような脅しのようなものを感じさせられていたからね。女はいいなと思う男がいたのは確かだね。だから「男はつらいよ」と言う言葉が映画の題名になり得たのじゃないかと思うな。
華女 ボォーボアールだったかしら、「女は人間として生まれ女になる」と言ったのは。
句郎 そうかもしれない。また「ハイヒールは現代に生きる纏足だ」というようなことを述べていた。
華女 そうよ。ハイヒールを履いてごらんなさい。若い頃じゃなくちゃ、ハイヒールなんて履けないわよ。足のつま先が痛くなってしまうのよ。
句郎 時代とともに男女平等が進むにしたがって「女であること」を社会が求めなくなったことはいいことだよね。
華女 そりゃ、そうね。
句郎 いつだったか、仲代達矢さんが言っていた。昔の女優さんは決して大きな口を開けて物を食べたりする姿を見せることはなかったが、今の女優さんは大口を開けてたこ焼きを食べる姿を撮らせているとね。
華女 女が女の色気を持つことと女が男と平等にものに接することとは別の問題だと思うわ。
句郎 「~である」ことが強制される社会は封建的な身分制の残存物だと思うけれども「~である」ことが生んだ文化、例えば「女であること」が培った文化も一緒にゴミ箱に入れてしまうのはどうかなと思うんだけどね。
華女 難しい問題だわ。でも新しい女の文化、美しい女の文化が生まれてきていると思うわ。男もそうなんじゃないかしら。「男であること」の男の文化は否定され、新しく美しい男の文化が誕生してきていると思うわ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます