草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉 元禄4年
句郎 「九月九日、乙州が一樽をたずさへ来たりけるに」の前詞を置き、この句を芭蕉は元禄四年に詠んでいる。
華女 重陽の節句ね。元禄時代には年中行事が色濃くあったのね。
句郎 、『蕉翁句集』には「此の句は木曽塚旧草に一樽を人の送られし九月九日の吟なり」と付記されている。この時、芭蕉は膳所義仲寺無名庵に滞在していた。
華女 乙州(おとくに)とは、近江蕉門の門人よね。
句郎 江戸に立つ乙州を囲んで俳諧の会が催された。その時の俳諧の発句が「梅若菜鞠子(うめわかなまりこ)の宿のとろろ汁」であった。
華女 そんなことがどうして分かるのかしら。
句郎 俳諧の『古今集』と言われている『猿蓑』の巻5に歌仙か載せてある。発句が芭蕉の「梅若菜」の発句だ。
華女 乙州とは、何をしていた人なの。
句郎 大津藩伝馬役をしていた町人のようだ。今でいうなら運送業を営む経営者だったのかな。
華女 重陽の節句には菊の酒を嗜む。呑ん平にはいい行事があったのね。
句郎 豊かな人情の交流があったということなんじゃないのかな。
華女 義仲寺無名庵にいた芭蕉と乙州、和尚さんがお神酒を楽しんだということね。そけだけの句よね。「日暮れてくれし」という言葉に思いが籠っているわね。
句郎 日本酒のおいしさを堪能したということなんじゃないのかな。
華女 芭蕉はお酒が好きだったのね。
句郎 菊の酒をいただくということは、単に酔いを楽しむということではなかったように思うよ。
華女 そうなのかしら。
句郎 菊の酒とは、不老長生を願う神事だった。単に酔いを楽しむお酒ではなかったようだ。
華女 確かに菊の葉には薬効があるのよね。
句郎 どのような薬効があるのかな。
華女 平安時代には「菊の着せ綿」という菊に綿をのせて香りを移したものを着物に使い、老いを払って若返るという優雅な風習があったようよ。今でも生菓子などに「着せ綿」というご銘のお菓子があるという話を聞いたことがあるわ。
句郎 科学的にも解明されているのかな。
華女 そのようよ。菊花中の成分が、生体内の解毒物質であるグルタチオンのつくるという報告があるみたいよ。
句郎 昔は菊の酒を高きに登っていただくと風習があったと云うでしょ。
華女 「登高(とうこう)」という秋の季語があるわ。
句郎 現在では高きに登って菊の酒を賞味するというような行事をする人はいないだろうな。
華女 季語「菊の酒」も「登高」も廃れていく季語なのかもしれないわ。
句郎 「一足の石の高きに登りけり」という虚子の句があるが何を詠んでいるのか、分かる人は少ないだろうね。
華女 「行く道のままに高きに登りけり」という富安風生の句があるわ。この句に季語があると気付く若い人はいないかもしれないわ。
句郎 現在にあっては、もう芭蕉の「草の戸や」の句が何を詠んだのかも分からなくなっているかも。
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