醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  862号  白井一道

2018-09-26 12:48:45 | 随筆・小説


  「秋風の鑓戸の口やとがり声」  芭蕉24歳 寛文7年(西暦1667年)


句郎 「秋風の鑓戸(やりど)の口やとがり声」という芭蕉二四歳の時の句が伝わっている。西暦一六六七年の作のようだ。私はこの句を読んだ時、雨戸の戸袋で女将さんが怒鳴る高い声を想像した。使用人を怒るとがり声かな。ゴミゴミした下町の街角に聞こえる狭い路地が想像された。
華女 「とがり声」という言葉が町人を想像させるのよね。なぜか男じゃなく、痩せた中年の女の声なのよね。
句郎 「とがり声」が表現する人は女の人であり、生活経験のある女性というイメージだよね。この女性は武家の女性でもなく、ましてや公家の女性では絶対ない。町人の女だよね。
華女 和歌が表現する女性は公家の女性じゃないのかしらね。
句郎 百人一首「あらざらむ このよのほかの おもひでに いまひとたびの あふこともがな」。和泉式部の歌が表現している女性は公家の女性だよね。平安時代の平民が女性がこのような歌を詠むはずがない。当時の庶民は文字を読めなかっただ
ろうし、もちろん文字を書くことなどできなかった。
華女 公家の女がとがり声を発することはないでしょう。静かに心の中にある気持ちを赤裸々に言うことはないように思うわ。
句郎 「とがり声」は赤裸々な気持ちを表現する言葉だよね。
華女 赤裸々に気持ちを表現する言葉に芭蕉は人間を発見したのかもしれないわ。
句郎 気持ちを内に秘める言葉に美しさを見る公家の美意識に対して赤裸々な気持ちを表現する言葉に芭蕉は美を発見したからこそ、「秋風の鑓戸(やりど)の口やとがり声」という句が生れたんだろうね。
華女 元禄時代になり、町人たちの経済力が武士をも凌ぐようになると公家や武士と同じように町人にだった高貴な心があるという気持ちが生れてきていたということなんでしょうね。
句郎 町人にも時間的な余裕が生まれたということなんじゃないのかな。
華女 平民というか、庶民に余暇が生れたということが俳諧を楽しむ町人出てきたということなのね。
句郎 古代ギリシアは奴隷制社会だったと言われている。だからポリスの市民には余暇があった。生産的な体を動かす仕事はすべて奴隷にさせていたからね。
華女 大学に入ったころかしら、school の語源は古代ギリシアの言葉schola余暇からきている教わったことを覚えているわ。
句郎 江戸時代の一部町人や豪農に余暇が生れたことが自分たちの文芸として俳諧を発展させたということなんだと思う。単なる笑いの文芸に過ぎなかった俳諧を文学にまで高めたのが芭蕉だったと考えているんだ。
華女 二四歳の若者であった芭蕉は公家や武士の文芸であった俳諧の連歌から俳諧を独立した文学にまで高めたということなのね。
句郎 余暇を創って勉強をして俳諧の連歌を学び、俳諧を詠んだ。俳諧が文学へと生成していく過程の句の一つが「秋風の鑓戸(やりど)の口やとがり声」なんだと思う。この句には人間の表現がある。

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