醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  908号  白井一道

2018-11-11 13:03:16 | 随筆・小説


  ゆふばれや櫻に涼む波の花  芭蕉  元禄二年


句郎 「ゆふばれや櫻に涼む波の花」、『おくのほそ道』には載せられていないが、芭蕉が象潟で詠んだ句である。『曽良旅日記』には「夕に雨止て、船にて潟を廻ル」と前詞を置いてこの句が載せてある。また酒田の医師伊東玄順、俳号が不玉、医号は淵庵。芭蕉は、『奥の細道』の旅の途中酒田で会い、曾良を加えて三吟歌仙を残した酒田の俳人不玉の著に「継尾(つぎお)集」というものがある。この書の中に「西行桜、西行法師
 象潟の桜はなみに埋れて  はなの上こぐ蜑のつり船
「花の上漕」とよみ給ひけむ古き桜も、いまだ蚶満寺のしりへに残りて、陰波(なみかげ)を浸せる   夕晴いと涼しかりければ」と前詞を置いてこの句が載せてある。
華女 元禄時代の山形、酒田には俳諧を楽しむ人がいたのね。
句郎 酒田は北前船文化の中心地の一つだからな。最上川流域の物産、紅花や年貢米などを送り出した所が酒田だった。裕福な町人の街が酒田だった。そうした町人の文化の一つが俳諧だった。
華女 芭蕉の陸奥への旅を
可能にしたのは町人の台頭ということだったのかしら。
句郎 日本の西回り航路が隆盛に向かい始めたころ芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出た。
華女 イタリア・ルネサンスの始まりも地中海航路の制海権をイスラム商人からヴェネチアやジェノアの商人が奪ったことだと高校生の頃教わった記憶があるわ。北前船の隆盛と俳諧文化というのは関係があるような気がしてきたわ。
句郎 日本国内の流通の隆盛ということは新しい文化を創造するということがあったのかと思う。まさに元禄時代は日本のルネサンスなのかもしれない。
華女 イタリアルネサンスの人々はアラブ文化を通してギリシア・ローマの文化を再発見したように芭蕉は酒田への旅を通して西行の歌を再発見したということなのかしらね。
句郎 「象潟の桜はなみに埋れてはなの上こぐ蜑のつり船」という西行の歌を再発見し、詠んだ句が「ゆふばれや櫻に涼む波の花」だということかな。
華女 象潟の桜が海面に写っているのよね。その海面を船で廻ったということなんでしょ。
句郎 西行の歌を俳諧の発句にしたということなのかな。
華女 漁師の釣り舟に乗り、花見をしたということが俳諧の発句ということね。
句郎 西行が詠んだ花を愛でる貴族の世界を町人の世界で花を愛でる喜びを詠んだ。
華女 花見という貴族の文化を町人が継承し、花見という町人の文化を詠んだ句が「ゆふばれや櫻に涼む波の花」という句だということなのね。
句郎 西行の歌は桜の花の写っている海で漁をする漁師の姿と船を一幅の絵として表現しているのに対して芭蕉の句は自ら漁師の船に乗り、涼しさを楽しむ喜びを詠んでいる。
華女 この句の季語は「涼しさ」ね。芭蕉は西行の歌に刺激され、桜の木が海面に写っている上の船に乗った時の涼しさを詠んでいるのよね。
句郎 西行の歌がなければ、芭蕉はこの句を詠むことはなかったんじゃないのかな。詩歌の伝統の上に芭蕉は句を詠んでいる。

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