醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  900号  白井一道

2018-11-03 10:40:55 | 随筆・小説


  まゆはきを俤にして紅の花  芭蕉  元禄二年


句郎 「まゆはきを俤にして紅の花」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句、世俗を逃れ風雅に生きる俳人の句じゃないわね。
句郎 俳諧師とは、世俗に生きる遊び人だったのかもしれないよ。
華女 芭蕉とは、そんな人だったのかしら。
句郎 元禄時代、「まゆはき」などという化粧道具を使う女性は色町、遊郭に生きる女性たちだったんじゃないのかな。
華女 芭蕉も遊郭で遊んだ経験のある人だったのか
しらね。
句郎 遊郭での遊びは勿論、宿場町の飯盛り女や女郎と遊んだ経験は豊富にあったと思う。だからこそ「まゆはきを俤にして」などという言葉が出てきたのではないかと思うよ。
華女 紅は高級品だったのよね。花魁と言われるような高級娼婦でなきゃ、頬紅や口紅など塗れなかったのじゃないのかしら。
句郎 紅一匁は金一匁に相当したようだからね。芭蕉はこの句を尾花沢で詠んでいる。尾花沢は紅花の産地だった。芭蕉がお世話になった鈴木清風は
紅花商人として富を蓄えた人だった。現代にあっても最上紅花は高級品として珍重されているらしいよ。
華女 お化粧した女と遊んだことを思い出してこの句を詠んだのかしらね。
句郎 きっとそうだと思う。芭蕉は清貧に生きた俳諧師ではなかった。世俗の垢にまみれた世界に生きた俳諧師だった。もともと俳諧師とは、世俗の塵にまみれて生きる今でいうなら芸能人の一人だったと考えている。
華女 芭蕉は芸能人。そうなのね。分かるような気がするわ。西鶴は芸能人よね。俳諧師、大衆小説家、それが西鶴よね。芭蕉も基本的には西鶴と同じような人だったのよね。
句郎 尾花沢は紅花の産地だ。紅花を見て芭蕉はお化粧する花魁を想像したんだと思うな。
華女 芭蕉も花魁と一夜を過ごしたことがあったのね。
句郎 花魁のことを傾城とも言われていたから、とても高値の花だった。芭蕉は花魁を揚げるほどのお金を持ったことはなかったろうから、花魁を遠くから見た経験はあったかもしれないな。
華女 芭蕉庵から吉原は近いわよね。芭蕉も吉原へは通ったことがあったのかしらね。
句郎 まゆはきというお化粧道具を知っているということは、お化粧する女性を間近に見た経験があったということだと思うな。男は化粧する女を見てはいけないという男文化があるようだからね。その男文化を犯してお化粧する女を見た経験があるということは、馴染んだ女がいたのかもしれないな。
華女 伊賀上野から出てきて上水道工事の請負をしていたというじゃない。芭蕉は商売人としても成功しているのよね。遊んだのはその頃のことなんじゃないのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。吉原で若かった頃、初めて遊んだことを思い出して詠んだ句が「まゆはきを俤にして紅の花」だったのかもしれないな。尾花沢の紅花畑に咲く紅花を見て想像力が刺激されたのかもしれないな。
華女 眉についた白粉を払い落とす道具がまゆはきよね。

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