醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  307号  白井一道

2017-01-29 14:06:33 | 随筆・小説

 野火新年句会の特選句

華女 野火句会の新年会は楽しかった?
侘助 うん、主宰者の孝夫さんは「行きも帰りも羽子板市の中通る」という句を特選に選んだ。
華女 何でもないただ事のような句ね。
句郎 一見するとそんな感じを受けるよね。でもそうじゃないようなんだ。
華女 年の瀬の羽子板市が表現されているのかしらね。
句郎 そうなんだ。「行きずりの人とも会話初参り」という句を詠んだ人がいた。この句は報告になっている。句になっていないというような説明をしていた。この説明に納得したな。
華女 そういうことなのね。
句郎 羽子板市が行われる近所に住む住人が用足しに「行きも帰りも羽子板市の中を通」って帰ってきた。その羽子板市では羽子板の人形を眺めて通ったに違いない。賑わいや知り合いに出会い、挨拶をかわしたかもしれない。そのようなことがすべて省略されている。ただ事実だけを述べ、羽子板市を表現した。だから俳句になっていると孝夫さんは主張していたのだと思ったんだ。
華女 どうしても余計なものを言いたくなってしまうのよね。
句郎 「行きずりの人とも会話」。これは確かに報告というか、説明になってしまっているのかな。説明では俳句にならないということのようだ。
華女 説明でなく表現をしなくちゃ俳句にはならないのね。
句郎 そうなんだろうな。NHK俳句を見ていたら、俳人の正木ゆう子さんが「すなどりの孤舟の上に寒昴」という投稿俳句を「すなどりの孤舟の上の寒昴」と添削していた。「に」という助詞は使い方によって説明的になってしまうという話をした上で「上に」を「上の」に添削した。
華女 何となく「上に」の方が分かりやすいかなと思ちゃうのよね。言われると確かに、「上に」だと説明のようにも思うわね。
句郎 そうでしょ。「雲雀より空にやすらふ峠哉」という芭蕉の句があるんだ。この句は「雲雀より上にやすらふ峠哉」という句を推敲した結果、「雲雀より空にやすらふ峠哉」としたと言われている。
華女 「上に」を「空に」にと推敲したのね。
句郎 そうなんだ。どうして芭蕉は「上に」を「空に」にと推敲したんだろうか。
華女 「雲雀より上にやすらふ峠哉」の方が分かりやすいようにも思うわ。
句郎 「上に」だと説明になってしまうなと芭蕉は気づいて「空に」にしたんじゃないかと思うんだけれどね。
華女 「上」だと説明になって「空」だと表現になるということなのね。
句郎 そうなんじゃないの。空高く舞い上がり鳴く雲雀より高い空に一服している。これは表現なんじゃないのかな。
華女 そうね。「上」じゃ、やはり説明ね。「空」でこそ表現ね。
句郎 説明と表現。同じようでも違っている。そこに気づくことが俳句を詠むという営みなのかもね。
華女 うっかりしているとすぐ説明になっちゃいそうだもの。
句郎 そうなんだ。表現してこそ、感動とか、余韻とかが響いて、隣の人にも伝わるということなのかもしれない。
 

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