醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 13号    聖海

2014-11-27 10:30:06 | 随筆・小説

 
  草の戸も住み替る代ぞひなの家  芭蕉

「今日は私の人生で一番若い日なのよ」と施設に入所している老女が言った。
誰にとっても今日という日はその人の人生にとって一番若い日であるに違い
ない。今日という日は永遠に二度と巡ってくることはない。毎日、毎日、時
は過ぎ去っていく。
 月日は旅人だ、と芭蕉は言う。そうだ。月日は旅人なんだ。月日が旅人だ
から、人生は旅のようなものだ、ということになる。常なるものなんて何も
ない。無常。常無し。この無常の中に私たちは生きている。
 若かったとき、未来が輝いていた。体に力があふれ、この溢れた力の置き
所に困ったくらいだった。それが今、昔の若さはどこにいってしまったのだ
ろう。
 私に熱いまなざしをおくった男の子たちはどこに行ってしまったの、と昔
スーパースター、今もスーパースター、駅前に開店したスーパーの宣伝にや
ってきた往年のアイドル歌手は唄の合間にこんなことを言った。常なる若さ
を願っても若さは移ろい行ってしまう。常なるものを願いながら永遠に常な
るものはかなえられることがない。ここに生きる哀れがあると芭蕉は言う。
薔薇の花は魅惑的な香りを発し、華やかな色に今盛りなりと主張している。
この薔薇の花びらはボロ雑巾のようになって或るものは枝に付いたまま枯れ
果て、或るものはハラハラと散っていく。命あるもののあわれがここにある。
 人生とは無常なもの、この無常を歎くのではなく、この無常の中で無常を
生きる。これが芭蕉の旅というものであった。旅に生きるとは、無常に生き
ることであった。
 そんな芭蕉に手本を示した昔の人がいた。西行や宗祇である。空を見上げ
ると雲の千切れにも西行や宗祇が誘ってくれているように芭蕉は感じた。旅
立ちたくて、いてもたってもいられなくなってしまった。隅田川のほとりに
ある寓居を取り払い、旅立ちの準備に取りかかった。
  草の戸も住み替る代ぞひなの家  芭蕉
 私の住んでいた草庵にも誰か、知らない人が移り住み、三月が巡ってくる
と雛飾りをすることだろう。月日は無常そのものだ。
 無常に生きるために芭蕉は奥の細道への旅に出た。当時、今から三百年前
に東北への旅をするということは世捨て人がすることだという見解がある。
この見解は間違っている。芭蕉は世捨て人ではない。無常の世の中に無常を
受け入れて生きる世の道を芭蕉は選んだ。深く、深く無常の世の中を心に刻
む生き方をした。
 江戸時代、徳川幕府五代将軍綱吉の時代を深く、深く生きたのだ。お犬様
の時代である。人間より犬が尊ばれた。この時代を芭蕉は深く、深く胸に刻
んで生きたのだ。この時代を、この時代の社会を世捨て人として生きたので
はない。世捨て人として芭蕉が生きたのであれば、このように永く三百年後
のわれわれに訴えてくる力のある文章であるはずがない。
 かなえられることのない常あるものを求めることが平安・無事の一カ所に
留まる生活である、とするならそれは消極的な生き方である。それに比べて
芭蕉の生き方は積極的に世の中を生きるということであった。積極的に生き
たからこそ芭蕉はその時代を、社会を深く深く生きることができたのである。





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