花見はお酒
侘輔 「二日酔ひものかは花のあるあいだ」。こんな句が芭蕉にあるのをノミちゃん知っている。
呑助 へぇー、花見の間は二日酔いなぞ気にしちゃいられない。毎日飲みたい。だってそうでしょ。何時散ってしまうのか分からないんだから、というような意味ですか。
侘助 芭蕉は若いころ、本当の呑助だったんだ。
呑助 この句を読むとそのようですね。女も勿論好きだったんですよね。
侘助 そうらしい。
呑助 俳句というのはお金持ちの庶民のお遊びだったようだかね。
侘助 芭蕉は当時、そうしたお金持ちのお相手をする遊びのプロだったんじゃないかね。
呑助 清く貧しい生活に生きた詩人というイメージと遠くかけ離れた人だったんですね。
侘助 「花にうき世わが酒白く飯黒し」。俳諧師としての生活が滲み出てくる。遊び人の侘しさを年を重ね、感じはじめている。
呑助 この句も芭蕉さんの句ですか。
侘助 芭蕉、四十歳の時の句のようだ。この句の前書きに惨めな思いをして初めて酒の味が分かってくる。貧しさを味わって銭のありがたさが分かる。このようなことを書いているんだ。
呑助 酒が白いというのはどうしてなんですか。
侘助 清み酒でなく、どぶろくだったんじゃないかな。だから当時、元禄時代には澄んだ酒、清酒が出回っていた。貧しい庶民が飲める酒は水で薄めた白いどぶろくだ。
呑助 飯が黒いというのは麦が半分くらい入ったご飯ということですか。
侘助 麦飯か、玄米飯ということかもしれない。花に浮かれるお金持ちを見て、貧しい自分を省みている句だと思う。
呑助 三百年前の四十歳にして今まで花に浮かれていたと分かったんですね。
侘助 気付くのが四十歳じゃ、遅いね。
呑助 そうですね。
侘助 「月花もなくて酒飲む独りかな」。芭蕉、四六歳の時の句のようだ。
呑助 いよいよ一人酒ですね。仲間と飲んで騒ぐ酒じゃないんですね。
侘助 芭蕉は四十六歳の時、「奥の細道」に旅立つ。旅立つ前だから、桜の花が咲く前に詠んでいる。芭蕉庵で一人、「奥の細道」に旅立つ思いに耽っていたのかもしれない。
呑助 もう一人の自分が酒を飲んでいる自分を見ているような句ですね。
侘助 確かにそんな気がするね。自分を突き放して生きる。そんな生き方をするようになっていた証しかもしれない。
呑助 俳諧師というのは、今でいうとゴルフのレッスンプロのような者なんですか。
侘助 いいこと言うね。その通りかも。カラオケの師匠というところかな。
呑助 芭蕉は芸能人として一流だったんですよね。
侘助 そうなんだ。一流とはいえ、豊かな生活ができたわけではなさそうだ。商売人としても一流だったけれども、商売としての俳諧を辞めた。商売としての俳諧には生きる真実がないと考えるようになった。だから一人酒を楽しむようになる。その一人酒を惨めだとは思わない。遊びとしての俳諧から文学としての俳諧へ、商売としての俳諧から人間の真実を見つめる俳諧へと進み始めたときは独り酒になった。
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