ランケのドミナンテ
かつてランケという哲学者が、歴史を考える時に
「ドミナンテ」という概念を導入したことがあるのです。
それは、本来は進化論に関して言われることですが、<中略>
歴史のプロセス(過程)というのは、一見内在的な進化を遂げて
いるように見えながら、ぜんぜん別なところから、個人やその
個人の担う歴史のプロセスに別なはたらきが作用しているからです。
そしてそのような別のはたらきを「ドミナンテ」(叡智的作用力)と
いうのです。
ですから、この立場からいうと、18世紀後半に、なぜ突然、一種の
古典主義的衝動が、古代ギリシア主義の復興がさまざまな個人の
内部に生じたのかを考えるときに、17世紀、18世紀の精神史の
プロセスをたどるだけでは説明できないのです。霊的な衝動が
別なところからそこにはたらきかけている、という神秘学的な
観点が問題になってくるのです。
*大正末期から昭和初期。1970年代、ウッドストックから。
そして2016年から、この「ドミナンテ」が始まる。そんな
予感がしてなりません…
かつてランケという哲学者が、歴史を考える時に
「ドミナンテ」という概念を導入したことがあるのです。
それは、本来は進化論に関して言われることですが、<中略>
歴史のプロセス(過程)というのは、一見内在的な進化を遂げて
いるように見えながら、ぜんぜん別なところから、個人やその
個人の担う歴史のプロセスに別なはたらきが作用しているからです。
そしてそのような別のはたらきを「ドミナンテ」(叡智的作用力)と
いうのです。
ですから、この立場からいうと、18世紀後半に、なぜ突然、一種の
古典主義的衝動が、古代ギリシア主義の復興がさまざまな個人の
内部に生じたのかを考えるときに、17世紀、18世紀の精神史の
プロセスをたどるだけでは説明できないのです。霊的な衝動が
別なところからそこにはたらきかけている、という神秘学的な
観点が問題になってくるのです。
*大正末期から昭和初期。1970年代、ウッドストックから。
そして2016年から、この「ドミナンテ」が始まる。そんな
予感がしてなりません…