無定形で、あらゆる現実の事と言に姿を変えていくという、
この「霊」は、驚くほど私たちの「貨幣」に似ては
いないだろうか。貨幣もそれ自体としては、「無形の流動体」
にほかならない。そのかわり、それはこの商品社会の中で、
ありとあらゆるものに、姿を変える己を実現してゆく。いや、
むしろ、そうやって姿をかえ、みずからを変態してゆくたびに、
貨幣は自己を実現してゆく。貨幣は交換されるたびごとに、
別の商品に姿を変えてゆく。そして、その変態が社会全域に
おいて、活発におこなわれていると、私たちの世界は、豊かさの
現実としてとらえるのだ。
古代人のことを、霊による資本主義者と呼ぶべきなのか、
現代人のことを、貨幣による言霊主義者と呼ぶべきなのか、
いずれにしても、ふたつの異なる世界は、豊かさや幸福と
いうことに関して、極めて似かよった思考方法を、愛好して
いるのだ、ということがわかる。(中沢新一)『日本文学の大地』
この「霊」は、驚くほど私たちの「貨幣」に似ては
いないだろうか。貨幣もそれ自体としては、「無形の流動体」
にほかならない。そのかわり、それはこの商品社会の中で、
ありとあらゆるものに、姿を変える己を実現してゆく。いや、
むしろ、そうやって姿をかえ、みずからを変態してゆくたびに、
貨幣は自己を実現してゆく。貨幣は交換されるたびごとに、
別の商品に姿を変えてゆく。そして、その変態が社会全域に
おいて、活発におこなわれていると、私たちの世界は、豊かさの
現実としてとらえるのだ。
古代人のことを、霊による資本主義者と呼ぶべきなのか、
現代人のことを、貨幣による言霊主義者と呼ぶべきなのか、
いずれにしても、ふたつの異なる世界は、豊かさや幸福と
いうことに関して、極めて似かよった思考方法を、愛好して
いるのだ、ということがわかる。(中沢新一)『日本文学の大地』