雨月物語(お金の神様)
まじめな蓄財家の問いかけとは、こうである。
お金が支配する経済の世界には、道徳や倫理の
感化力は及ばないのだろうか。富んでいる者
といえば、おおかた貪欲で、こういう人たちには
儒教の説などは、馬の耳に念仏である。仏教では
前世の因縁を説いているから、そういう貧欲を
いくぶんかは抑えることもできよう。しかし、
それでいいのだろうか。自分には、金銭を尊ぶ
気持ちと、いままで言われてきた倫理の説とが、
どうもしっくりこないように感じられる。この
点を、黄金の精霊はどう考えられるか。
これに対する、お金の神様の答えは、感動的な
ほどに明快で、深いのである。精霊はつぎのように
断言する。
我もと神にあらず仏にあらず、只これ非情なり。
非情のもととしての人の善悪を糺(ただ)し、それに
したがうべきいはれなし。………我は仏家の善業も
しらず。儒門の天命にも抱(かか)はらず、異なる境に
あそぶなり。
*上田秋成、雨月物語の言い分ですが……???