Sorry, Japanese only.
こんばんは。
それでは今日は、1983年に観戦したもうひとつの大会の東京選手権のお話をさせていただきます。
とは言いましても、健康美と栃木県選手権は会場までしっかり記憶しているのですが、この東京選手権に関してはどこでやったのかという記憶がはっきりしておりません(苦笑)。
ではなんで1983年に見に行ったのかわかったのかといいますと、これもある選手が記憶に残っていたからです。
その選手とは、この1983年の栄えある第1回ミス東京チャンピオンとなった、飯島ゆりえ選手です。
ではなんで記憶に残っていたかといいますと、フリーポーズで見事な開脚を披露していたからなのです(爆)。
そう、私はこの頃からすでに「強く・柔らかく・美しく」を兼ね備えたmuscle beautyに注目していたのです(原爆)。
ですが、当時のボディビル大会の会場の雰囲気は、必ずしも私のような「部外者」にあたたかいものではありませんでした。
ロビーとかでも、気軽に選手に声をかけることなどとてもできない雰囲気だったことを憶えています。
近年の大会と比べてみれば、隔世の感がありますね(苦笑)。
そんな雰囲気に圧倒されてしまった私は、それ以降ボディビルの大会の観戦から離れてしまったのでした。
ただひとつ例外があって、それは1990年代に横浜市で行われた神奈川選手権です。
具体的にいつだったのかは憶えていませんが、横浜駅東口のデパートそごうの9階にある新都市ホールで行われていたことは覚えています。
また、女子選手は2,3人くらいしかいなかったことも記憶に残っています。
そしてそれ以降、2003年のジャパンオープン(横浜市鶴見区)まで私はボディビル大会を観戦したことはありませんでした。
じゃあ、その「空白期間」に私は何をしていたか、それを次回お話しさせていただこうと思います。
こんばんは。
それでは今日は、1983年に観戦したもうひとつの大会の東京選手権のお話をさせていただきます。
とは言いましても、健康美と栃木県選手権は会場までしっかり記憶しているのですが、この東京選手権に関してはどこでやったのかという記憶がはっきりしておりません(苦笑)。
ではなんで1983年に見に行ったのかわかったのかといいますと、これもある選手が記憶に残っていたからです。
その選手とは、この1983年の栄えある第1回ミス東京チャンピオンとなった、飯島ゆりえ選手です。
ではなんで記憶に残っていたかといいますと、フリーポーズで見事な開脚を披露していたからなのです(爆)。
そう、私はこの頃からすでに「強く・柔らかく・美しく」を兼ね備えたmuscle beautyに注目していたのです(原爆)。
ですが、当時のボディビル大会の会場の雰囲気は、必ずしも私のような「部外者」にあたたかいものではありませんでした。
ロビーとかでも、気軽に選手に声をかけることなどとてもできない雰囲気だったことを憶えています。
近年の大会と比べてみれば、隔世の感がありますね(苦笑)。
そんな雰囲気に圧倒されてしまった私は、それ以降ボディビルの大会の観戦から離れてしまったのでした。
ただひとつ例外があって、それは1990年代に横浜市で行われた神奈川選手権です。
具体的にいつだったのかは憶えていませんが、横浜駅東口のデパートそごうの9階にある新都市ホールで行われていたことは覚えています。
また、女子選手は2,3人くらいしかいなかったことも記憶に残っています。
そしてそれ以降、2003年のジャパンオープン(横浜市鶴見区)まで私はボディビル大会を観戦したことはありませんでした。
じゃあ、その「空白期間」に私は何をしていたか、それを次回お話しさせていただこうと思います。