遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『可燃物』   米澤穂信   文藝春秋

2024-08-26 16:52:04 | 諸作家作品
 ミステリー作家についての一文を読んでいたとき、この作家の名前を知った。そこで関心を抱き、たまたま新聞広告で目にとまった本書をまず読んでみた。検索してネット情報で記事の見出しだけを見ると、著者の作品群の中では、初の警察ミステリーとか。 
 本書は短編5本の連作集であり、「オール讀物」(2020年7月号~2023年7月号)に掲載されたのち、2023年7月に単行本が刊行された。
 警察小説は数人の愛読作家の作品を読み継いでいるので、親近感もあり、それぞれの作家の作風の違いを感じながら、一気に読み進めることとなった。

 今までの警察小説の読書遍歴で言えば、警視庁の刑事たちを主軸とする小説が大半だったので、群馬県警を主軸にする点で舞台ががらりと変わり新鮮であった。いままで相対的に長編物を読んできているので、短編連作というところも、気分転換となり、おもしろかった。
 事件が発生し、初動捜査の後、分担された捜査活動で事実証拠や聞き込み情報が端的に集積されていく。短編ゆえに、そこから事件解決への推理を突き進めるというメインストリームがズバリと描きこまれていく。まさに推理プロセスそのものに焦点が当たっていく。論理的な推理の醍醐味そのものを味わえる作品群になっている。

 主な登場人物は、群馬県警察本部の刑事部捜査第一課の葛(カツラ)警部と葛班の刑事たち。葛の上司として、小田指導官、刑事部捜査第一課長、新戸部(ニトベ)四郎が要所要所で登場する。「指導官」という職位は、警視庁物での「管理官」に相当する機能と理解した。

 この短編連作集でおもしろいところは、まずそれぞれのキャラクターがかなり明瞭な特徴がを持つことである。著者によるキャラクター描写をご紹介しよう。
 葛警部に小田指導官が直に語る葛評がある。「俺も上も、葛班の検挙率には一目置いている。だが、葛班はあまりにも、お前のワンマンチームじゃないかと疑ってもいる。お前の捜査手法は独特だ。どこまでもスタンダードに情報を集めながら、最後の一歩を一人で飛び越える。その手法はおそらく、学んで学び取れるものじゃない。お前も永遠に県警本部の班長ではいられん。下が力をつけてこなければ、県警の捜査力は落ちる」(p200) 勿論、小田には「自分は自分で育てるものだ」(p201) という考えが根底にあって、語っている。
 読者としての醍醐味は、葛班の刑事たちが集めてきた情報が、葛の頭脳を通して整理される。そのプロセスが描写され、事実証拠がすべて開示されていく。そのプロセスで葛の事件解決への推理が紆余曲折を経ながら進展していく。読者はそのメインストリームを追体験する。その先に「最後の一歩を一人で飛び越える」という局面が来る。それが短編の読ませどころへと止揚していく。まさに、正 ⇒ 反 ⇒ 合 の展開であり、事実証拠から導き出された結論は、読者にとって意外性を感じさせ、飛び越えたものに帰着する。
 
 小田指導官については、それほど記述はない。葛が適切に報告を上げ、指示を受ける良好な関係にある。中間管理職としてうまく機能している存在として、時折登場する。葛は小田について、「小田はふだん、葛の捜査方針を支持することが多い。葛に味方するというより、葛は放置した方が解決に近づくと考えている節がある」(p200)と見ている。このキャラクターがうまく機能しているようだ。葛からみれば、小田指導官が「俺は」と言いつつ見解を述べる時には、新戸部課長の意向を踏まえている。つまり、小田は葛にとって、課長との間のクッション的役割を果たしている。こういう側面は、どの組織においてもあると思う。

 新戸部課長については、葛が捉えた課長評にそのキャラクターが端的に表現されている。「課長まで昇った新戸部は、部下に対して、自らに忠実であることを求める」「だがその新戸部の部下に、彼の顔色を窺う刑事はほとんどいない。新戸部自身が、おのれの機嫌取りをする刑事と有能な刑事を比べて、後者ばかりを捜査第一課に引っ張ってくるからである。どこかに一人ぐらい、自分の腰巾着でありながら有能な刑事がいないかと切望しながら、新戸部は結局、自らの意をろくに汲まない実力主義の集団を組織してきた。それゆえに新戸部は部下に接する時、常に機嫌が悪い」(p90-91)自分の本音を抑えつつ、組織力重視の実力主義で成果を望む管理職というところである。
 葛にとっては、相対的に対応しやすい上司といえるのかもしれない。その前提は、確実に捜査活動から速やかに犯人逮捕の成果を出すという前提付きなのだが・・・・。

 その結果、この短編連作集では、基本的に葛班のメンバーの捜査活動を主軸にストーリーが描かれていくことになる。事件の発生場所の所轄署に捜査本部が立つ。概ね所轄警察署の刑事と葛班の刑事がペアリングするので、結果報告は葛班の刑事の発言が多くなる。時折、所轄署の刑事たちが地元に関連した特有の情報による発言で、情報を加えるのは勿論であり、葛はその内容を適切、的確に活用していく。いわゆる聞く耳を持ち、熟考するのが葛の特徴である。
 葛は、一匹狼でもなく、チームのまとめ役・調整役でもない。チーム力を発揮させることに意を注ぎ、結果的におのれはチームの一歩先に飛び越えてしまう。おもしろいキャラクターが創りだされたといえる。楽しめる。

 収録された短編について、少しご紹介しておこう。
<崖の下>
スキー場<上毛スノーアクティビティー>のバックカントリースノーボードで遭難が発生。出かけたのは4人組だった。捜索結果、崖の下で二人を発見。後藤稜太は頸動脈を刺されたことによる失血。低体温症に陥っての錯乱行動が見られた。傍で発見された水野正は意識不明の重体の状態で発見された。崖の上も、発見場所周辺も、捜索者関連の足跡を除くと、二人以外の足跡なし。凶器は発見されず。いわば密室殺人というテーマ領域か。

<ねむけ>
 群馬県藤岡市で強盗致傷事件が発生。被疑者の一人、田熊竜人(39)に24時間体制で監視が付けられていた。だが、その田熊が車で移動中、午前3時頃、合間交差点で相手の軽自動車と衝突事故を起こした。二人の命に別状はないが重症。田熊を別件逮捕し、強盗致傷事件に繋げるか。葛班はこの交通事故の捜査に関わっていく。午前三時頃にも関わらず、4人の目撃者が発見されたことから、逆に事実究明に混迷が始まる。

<命の恩>
 群馬県榛名山麓にある<きすげ回廊>の近くで、人間の腕様の物体が発見・通報された。捜査の結果、山麓からバラバラに切断された遺体が一部を除きほぼ発見される。歯の治療痕から遺体の身元は、高崎市内の塗装業者で、野末晴義(58)と判明する。葛班は聞き込み捜査から、野末晴義について、ネガティブな情報や遭難者を救助した情報を含め様々な情報を集積していく。一昨年の8月に、息子の勝を受取人にした死亡保険金1000万円の保険が契約されているが、押収証拠の中に保険証書はなかった。
 これは殺人死体遺棄事件なのか。
  
<可燃物>
 12月8日(月)の深夜から12日(金)の未明にかけて、群馬県太田市内のゴミ集積所から不審火が連続した。発見され通報されて鎮火されたものと、自然に火が消えていたものとが混在した。太田南警察署が捜査を進めていたが、12日の朝、連続放火事件と判断して捜査本部が立つ。葛班が担当する。聞き込み調査が始まり、情報が集積されていく。だが、本部が設置された以降、不審火はピタッと止まったのだ。連続放火犯を特定できるのか?

<本物か>
 拳銃所持の前科がある殺人未遂容疑者の逮捕をやり遂げた葛班は、人員輸送車で警察本部への帰途、伊勢崎市の国道沿いにあるファミリーレストランで客、店員が避難しているという事件を警察無線で聞く。指令室の指示に従い現場に向かう。課長から連絡が入る。「立てこもり事件だ。特殊班を出す。お前は手を出すな。情報の収集と報告の任に就き、特殊班を支援しろ」と。このストーリー、葛班の情報収集のプロセスを描く。
 葛はほぼ立てこもり事件の真相を見抜いていた。その情報をきっちり特殊班の三田村警部に引き継ぐ。

 捜査により集積された事実と証拠。それらの諸情報を整理し、様々な視点から検討し、葛は事実究明の推論を重ねていく。そのプロセスで見えなかった事実、事象に気づく。その側面を補って、論理的な推論を重ねると、事件の真実に至るどんでん返しが生まれてくる。
 葛警部の真骨頂が発揮される。

 葛警部シリーズがこの先、生まれるのだろうか。期待したい。




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