遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『白夜街道』  今野敏   文春文庫

2023-12-17 15:44:23 | 今野敏
 警視庁公安部外事一課倉島警部補シリーズの最新刊の新聞広告を見て、本書を見過ごしていたことに気づいた。最新刊は未読だが、まずはこの見過ごしていた作品を読み継ぐことにした。本作は2006年7月に単行本が刊行され、2008年11月に文庫化されている。手許の本は2016年10月第14刷である。このシリーズもけっこう読まれているということだろう。

 4年前に倉島はロシアから来た暗殺者ヴィクトル・タケオヴィッチ・オキタと敵対した。オキタは暴力団の組長を殺害し、そのまま姿を消した。その事案は暴力団同士の抗争として処理され、暗殺者オキタの存在は秘された。
 そのオキタが実名のパスポートで6月に来日したのだ。倉島は上田係長と共に、下平課長からオキタの名が記されたファックスを見せられる。これが捜査の起点となる。
 日本人の父親とロシア人の母親の間に生まれたヴィクトルは、前回、山田勝という名の偽造パスポートで入国していた。暴力団の組長を暗殺し消えた。今回は本名で入国している。通常のビザで日本に入国するには、日本からの招待状が必要という手続きがある。倉島は、日本側の招待者が誰かからまず捜査を開始する。

 オキタは現在、モスクワにある警護会社『ムサシ』に勤めている。KGBの特殊部隊での先輩マキシム・マレンコフがソ連崩壊後に作った会社である。『ムサシ』のクライアントの一人、アンドレイ・ペデルスキーというビジネスマンの警護を依頼されて、オキタはボディーガードとして日本に入国したのだ。
 
 倉島はまずヴィクトル・タケオヴィッチ・オキタがテロリストの可能性があるとして、外務省に赴き入国ビザの情報を収集しようとする。すったもんだの末で、第四国際情報室河中と面談する。河中から引き出した情報は、オキタがアンドレイ・ペデルスキーというロシア人の連れとして、短期滞在の商用ビザを取り、日本側の招聘人は、ウツミ貿易株式会社だということだった。倉島はウツミ貿易を訪ね、招聘理由と滞在中の彼らの日程等を捜査することに・・・・。

 日本で精力的にビジネス活動に専念するペデルスキーは、モスクワから黒い、なんの変哲もないコウモリ傘を常に持参し持ち歩いていた。オキタがその用意のよさに驚くくらいだった。ペデルスキーのビジネス活動は順調に進み、帰国前日に得体のしれない密会をあるホテルで行った。オキタはその密会の場には立ち会えなかったが、警護の任務をやり遂げる。その夜、オキタは突然、大日本報声社という政治結社の代表、大木天声から電話を受ける。過去の貸しを返せと迫られ、その夜の暴力団の抗争で一仕事せざるをえなくなる。
 警護の任務を終えたオキタはペデルスキーとともに、出国手続きも問題なく済まし、アエロフロートで帰国の途につく。

 この状況の推移が前段となって、外事一課所属の上田係長と倉島の捜査活動が思わぬ方向に進展していく。
 というのは、第四国際情報室の河中廉太郎が急死したという知らせを倉島は上田係長から聞くことになる。河中はペデルスキーと接触した翌日に体調不良を訴え、さらにその翌日に入院し、明らかに異常な症状を呈したあと急死した。ペデルスキーとオキタが帰国した後だった。上田係長から症状を聞いた倉島は、旧ソ連のKGBが使った手口、ヒマから取った毒リシンを使った暗殺事件を思い出した。

 このストーリーの構想の面白さは2つのストーリーがパラレルに独立してそれぞれ進行して行く点にある。
1つは、モスクワに帰ったオキタの行動である。彼は、変わらずにペデルスキーのボディーガードの仕事に従事する。モスクワでオキタと同居しているエレーナが誘拐される事件が発生した。マレンコフ経由でオキタが受け取った誘拐犯からのメッセージは、ペデルスキーと交渉がしたいので、ハーロフスクという街のある住所に彼を移送してくれれば、エレーナを戻すというものだった。ペデルスキーはその住所地に行くことに同意する。オキタは彼の同意をどう解釈すれば良いか、様々な推理をする羽目になる。徐々にペデルスキーの正体が明らかになっていく。
 もう1つは、河中の急死に関わる捜査である。河中はペデルスキーかあるいはオキタに消された可能性が浮上する。公安部主導で刑事部との合同捜査本部が立つ。ウツミ貿易と外務省への聞き込み捜査を土台に、河中殺害事件の捜査が進展していく。
 捜査の結果、容疑者がロシアにいる限り、容疑者の逮捕に出向くことになる。モスクワへは倉島と捜査本部から刑事部の牛場警部が出張することとなった。
 日本の警察官として、ロシアで彼らが直面する状況が、いわば一つの読ませどころになる。

 2つのストーリーはペデルスキーを連結点としてつながっていく。
 モスクワに倉島と牛場が到着した時には、ペデルスキーとオキタは、ハーロフスクに出発した後だった。空港には日本の大使館員今村が出迎えに来ていた。この応対がおもしろい。実に日本的といえる。翌日FSBのオレグ小佐に引き合わされる。倉島・牛島・今村亞は、オレグ少佐の運転と案内で、ハーロフスクへ向かうことに・・・。
 「モスクワからハーロフスクまでは、約600キロ。だが、幸い、一本道だ。ヤロスラーブリ街道と呼ばれる国道をまっすぐ真北に向かうだけだ」(p209)と描写されている。白夜街道という本作のタイトルはここに由来する。その距離に地理的スケールの違いを感じてしまう。やはり、この風土の違いは人々の価値観にも影響するだろうな・・・と思ってしまう。

 本作で私が興味深いと感じる点を列挙してみたい。
1. 倉島の公安部捜査員としての意識と認識が巧みに描き込まれていく点。
  どこで捜査の一線を引くかという判断とその基準が興味深い。
2. 警視庁と外務省、警視庁公安部と警視庁刑事部、それぞれに組織の壁がある。
  その状況が捜査の進展を非効率にしている様相が巧みに描き込まれていること。
3. オキタの心理描写と状況認識、推理が楽しめるとともに、ペデルスキーの正体が
  このストーリーの設定で要となっていること。
4. 日本とロシア間のビザ発行の様子がわかること。
5. 倉島の判断により、牛馬とこの事件の本質を共有するという落とし所があること。
6. このストーリーのエンディングのさせかた。ここは特にお楽しみに。

 このストーリーの最終部分から、本作のモチーフと思えるセンテンスを抽出してみた。それが当たっているかどうかは、本作を読んでご判断いただきたい。
 *武力で戦う必要はない。だが、戦わなければならない。     p308
 *納得しなくてもいい。あれが事実だと主張し続けるだけです。
  そのうち、世間はこんな出来事があったことは忘れてしまう。  p311
 *刑事とは仕事のやり方が違うだけです。            p312
 *すべての人々は平和で安全な日常の中で暮らす権利がある。
  だが、その日常は実に危ういバランスの上に成り立っている。  p312

 警察小説ではあるが、アクション・ノヴェルとしての側面がつよい作品である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『トランパー 横浜みなとみらい署暴対係』   徳間書店
『審議官 隠蔽捜査9.5』   新潮社
『マル暴 ディーヴァ』   実業之日本社
『秋麗 東京湾臨海署安積班』   角川春樹事務所
『探花 隠蔽捜査9』  新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 97冊


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『孤高の血脈』  濱嘉之 ... | トップ | 『天気のことわざは本当に当... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

今野敏」カテゴリの最新記事