市の図書館で参考資料を探していて、たまたまタイトルが目に止まり、借り出して読んでみた。「あとがき」に編者が日野忠男氏と出ている。その説明によれば、当初、「茶道の人々」として約2年間にわたり読売新聞に連載されたものという。「一冊の本とするに当たって、新たに資料を加え、一部人物も入れかえて書き改め」て、1978年に淡交社から刊行された。さらに再編集されて2012年10月に文庫化されている。
茶の湯は日本文化史の上で大きな影響を与えてきた。日本文化の中の茶の湯の歴史という視点で捉え、茶人たちを絡めて語っていくというアプローチでは以前に谷晃著『茶人たちの日本文化史』(講談社現代新書)を読んでいて、ご紹介している。
この『茶人物語』は、「あくまでも茶の湯を舞台とした人物史伝」という視点で、茶人について語り継ぐ形で、その人物を知るとともに、茶の湯の歴史の一側面を浮彫にしていくというアプローチになっている。そういう意味ではこの二書は相互補完される形になる。本書は、茶人その人に興味を抱きながら、茶人を通して茶の湯の流れを知るという意味では読みやすい一書である。
目次の構成とその章に取り上げられている茶人を列挙してご紹介しよう。
目次には茶人名の後に、短いフレーズで見出しの一部としてその人物を評し紹介している。それは本書を開いてお読みいただきたい。本書には53人の茶人が登場する。
第一章 喫茶の起こり
陸羽、永忠、空也、栄西、明恵、叡尊
第二章 婆娑羅とわび
佐々木道誉、足利義満、足利義政、村田珠光、古市澄胤、武野紹鴎、
今井宗久、津田宗及、松永弾正久秀、織田信長
第三章 利休とその周辺の茶人たち
豊臣秀吉、上井覚兼、千利休、細川三斎、織田有楽斎、高山右近、
神谷宗湛、島井宗叱、山上宗二、南坊宗啓、千道安、千少庵、古田織部
第四章 茶道隆盛への道
薮内紹智、長闇堂、小堀遠州、松花堂昭乗、本阿弥光悦、片桐石州、沢庵宗彭
江月宗玩、金森宗和、千宗旦、山田宗徧、杉木普斎、藤村庸軒、吉野太夫
第五章 近世の茶人
近衛家煕、鴻池道億、高遊外、如心斎天然、堀内仙鶴、川上不白、松平不昧
井伊宗観、玄々斎宗室、岡倉天心
「第一章 喫茶の起こり」は、茶道の古典と言われる『茶経』を書いた中国の茶人から始まっている。永忠から叡尊までは、茶を伝え、広めることに関わった日本の僧侶たちである。
第二章では具体的な茶の湯の姿が大きく変容していくプロセスになる。人物史伝の中で、茶の湯の姿の変容が人物と絡めて語られる。闘茶から淋汗茶会、そしてわび茶の始まりと町人の間での茶の湯の勃興、そして大名茶の始まり。室町時代は足利義満・義政の関心により茶道具が重視され珍重されていく。果ては信長の「名物狩り」「茶の湯御政道」に結びつく。
第三章では、まず利休が茶の湯の頂点を究める。だが時代の変化につれて、茶の湯のあり様も変化していく。茶人を語る中から、大きな3つの流れにわかれていくことがわかる。それぞれの領域で茶人たちが活躍していく。
一つは、政権を担っていく武士、大名たちの間での茶の湯の変遷。それは利休の茶の湯から始まり、古田織部流⇒小堀遠州流⇒片桐石州流へと移っていく。幕府の対極にある宮廷・公家の世界では、金森宗和の茶の湯が宮廷茶として取り入れられて行く。千宗旦が千家を中興し、山田宗?がわび茶の復興をはかるにつれて、経済を担う町人たちの間でわび茶が広がっていく。一方で、町人たちの茶の湯のあり方も変容していく。また、大名たちもわび茶に再び目をむけるように・・・・・
一茶人あたり、3~10ページくらいにまとめられた人物史伝を読むと、それぞれの茶人のプロフィールが大凡つかめるとともに、上記のような茶の湯の歴史の大きな流れも把握できて行く。
本著は茶人事典という意味合いでも利用できるメリットがある。ちょっと特定の茶人について知りたいというときに便利。大凡の有名どころはカバーされていると思った。
また、索引は人物名で構成されている。ここに登場する53人の茶人と関係する人々も載っているので、人間関係の繋がりを知るのにも使える側面がある。例えば、千家の場合、茶人としては利休、道安、少庵、宗旦、玄々斎宗室が人物史伝として登場している。一方、索引には、千宗恩、千宗見、千宗左、千宗室、千宗守、千宗拙の名前が索引に載る。さらにサンプリングしてみると、明智光秀が7カ所、空海(弘法大師)が4カ所、正親町天皇が4カ所、徳川家光が6カ所・・・という具合である。
最後に、「吉野太夫 -島原の名妓」の項でおもしろいことを学んだのでご紹介しておこう。
吉野太夫は豪商灰屋紹益との大ロマンスで有名な京都・島原の遊郭で二代目の太夫である。灰屋紹益は本阿弥光悦とも交流のあった茶人であり諸芸に秀でていた人。
「遊女と茶の湯が深い関係にあったので、いつしか待合のことをお茶屋と呼ぶようになり、また客のない遊女が暇つぶしに茶の葉を臼で挽いたことから『お茶を挽く』という言葉が生まれた。遊郭が茶の湯と離れて、ほんとうの悪所になるのは、江戸中期以後のことである」(p213)
「お茶屋」の言葉の由来を知った。
この本、今後の参照資料として手許に置いておきたくなった。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 26冊
茶の湯は日本文化史の上で大きな影響を与えてきた。日本文化の中の茶の湯の歴史という視点で捉え、茶人たちを絡めて語っていくというアプローチでは以前に谷晃著『茶人たちの日本文化史』(講談社現代新書)を読んでいて、ご紹介している。
この『茶人物語』は、「あくまでも茶の湯を舞台とした人物史伝」という視点で、茶人について語り継ぐ形で、その人物を知るとともに、茶の湯の歴史の一側面を浮彫にしていくというアプローチになっている。そういう意味ではこの二書は相互補完される形になる。本書は、茶人その人に興味を抱きながら、茶人を通して茶の湯の流れを知るという意味では読みやすい一書である。
目次の構成とその章に取り上げられている茶人を列挙してご紹介しよう。
目次には茶人名の後に、短いフレーズで見出しの一部としてその人物を評し紹介している。それは本書を開いてお読みいただきたい。本書には53人の茶人が登場する。
第一章 喫茶の起こり
陸羽、永忠、空也、栄西、明恵、叡尊
第二章 婆娑羅とわび
佐々木道誉、足利義満、足利義政、村田珠光、古市澄胤、武野紹鴎、
今井宗久、津田宗及、松永弾正久秀、織田信長
第三章 利休とその周辺の茶人たち
豊臣秀吉、上井覚兼、千利休、細川三斎、織田有楽斎、高山右近、
神谷宗湛、島井宗叱、山上宗二、南坊宗啓、千道安、千少庵、古田織部
第四章 茶道隆盛への道
薮内紹智、長闇堂、小堀遠州、松花堂昭乗、本阿弥光悦、片桐石州、沢庵宗彭
江月宗玩、金森宗和、千宗旦、山田宗徧、杉木普斎、藤村庸軒、吉野太夫
第五章 近世の茶人
近衛家煕、鴻池道億、高遊外、如心斎天然、堀内仙鶴、川上不白、松平不昧
井伊宗観、玄々斎宗室、岡倉天心
「第一章 喫茶の起こり」は、茶道の古典と言われる『茶経』を書いた中国の茶人から始まっている。永忠から叡尊までは、茶を伝え、広めることに関わった日本の僧侶たちである。
第二章では具体的な茶の湯の姿が大きく変容していくプロセスになる。人物史伝の中で、茶の湯の姿の変容が人物と絡めて語られる。闘茶から淋汗茶会、そしてわび茶の始まりと町人の間での茶の湯の勃興、そして大名茶の始まり。室町時代は足利義満・義政の関心により茶道具が重視され珍重されていく。果ては信長の「名物狩り」「茶の湯御政道」に結びつく。
第三章では、まず利休が茶の湯の頂点を究める。だが時代の変化につれて、茶の湯のあり様も変化していく。茶人を語る中から、大きな3つの流れにわかれていくことがわかる。それぞれの領域で茶人たちが活躍していく。
一つは、政権を担っていく武士、大名たちの間での茶の湯の変遷。それは利休の茶の湯から始まり、古田織部流⇒小堀遠州流⇒片桐石州流へと移っていく。幕府の対極にある宮廷・公家の世界では、金森宗和の茶の湯が宮廷茶として取り入れられて行く。千宗旦が千家を中興し、山田宗?がわび茶の復興をはかるにつれて、経済を担う町人たちの間でわび茶が広がっていく。一方で、町人たちの茶の湯のあり方も変容していく。また、大名たちもわび茶に再び目をむけるように・・・・・
一茶人あたり、3~10ページくらいにまとめられた人物史伝を読むと、それぞれの茶人のプロフィールが大凡つかめるとともに、上記のような茶の湯の歴史の大きな流れも把握できて行く。
本著は茶人事典という意味合いでも利用できるメリットがある。ちょっと特定の茶人について知りたいというときに便利。大凡の有名どころはカバーされていると思った。
また、索引は人物名で構成されている。ここに登場する53人の茶人と関係する人々も載っているので、人間関係の繋がりを知るのにも使える側面がある。例えば、千家の場合、茶人としては利休、道安、少庵、宗旦、玄々斎宗室が人物史伝として登場している。一方、索引には、千宗恩、千宗見、千宗左、千宗室、千宗守、千宗拙の名前が索引に載る。さらにサンプリングしてみると、明智光秀が7カ所、空海(弘法大師)が4カ所、正親町天皇が4カ所、徳川家光が6カ所・・・という具合である。
最後に、「吉野太夫 -島原の名妓」の項でおもしろいことを学んだのでご紹介しておこう。
吉野太夫は豪商灰屋紹益との大ロマンスで有名な京都・島原の遊郭で二代目の太夫である。灰屋紹益は本阿弥光悦とも交流のあった茶人であり諸芸に秀でていた人。
「遊女と茶の湯が深い関係にあったので、いつしか待合のことをお茶屋と呼ぶようになり、また客のない遊女が暇つぶしに茶の葉を臼で挽いたことから『お茶を挽く』という言葉が生まれた。遊郭が茶の湯と離れて、ほんとうの悪所になるのは、江戸中期以後のことである」(p213)
「お茶屋」の言葉の由来を知った。
この本、今後の参照資料として手許に置いておきたくなった。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 26冊