カガラ山の仙人

日常の 出来事、感じたことを 
  思いつくままに 写真を 中心に 掲載します。

☆ 四境の役 大島口の戦 ツアーへ参加 - 1

2017-12-03 | 日記

・早朝 広島を 6時に 車で スタートし  四境の役 大島口の戦 ツアーが 開催される 

 久賀公民館へ 向かい 8時すぎに 会場に 着きました、友人で 当会 事務局の Oさんに

 お会いしましました、ツアーの マイクロバス 2台も 駐車場に 来ています。

 

・友人の Oさんの 本日の ツアー 説明、案内の ご挨拶が あります。

 

・沢山の 参加者です、岩国からも ビデオ撮影記者も 同席されて 撮影します。

 参加者は 45名 のようです。

「四境の役 大島口の戦い」とは

 慶応二年(一八六六)六月七日、第二次長州征伐の最初の戦いの幕が切って落とされました。
 当初、幕府軍の圧倒的な戦力により、久賀、安下庄の殆どを戦火により焼失するなど苦戦し、大島(現在の周防大島)の防衛にあたっていた勘場隊などの守備兵は、遠崎までの敗走を余儀なくされ、大島は完全に占領されました。
 しかし、十三日未明、高杉晋作が乗り込んだ丙寅丸の奇襲から戦況が好転し、遠崎に集結した長州軍約千人(第二奇兵隊、浩武隊、大島郡兵など)は、十五日朝、笠佐島を経由して大島に上陸、西蓮寺を本陣として反撃を開始しました。
 第二奇兵隊は、軍監・世良修蔵をはじめとして大島出身者が多く、この島の地を熟知した「制高作戦」や的を絞らせない「散兵戦術」を駆使して大島を奪還しました。
 この戦いの勝利が島民はもちろん藩民全体に与えた自信と進取性は莫大なものでした。
 事実、芸州口(六月十四日~八月七日)石州口(六月十六日~七月十八日)小倉口(六月十七日~十月七日)の戦いに弾みをつけ、第二次長州征伐の勝利を決定づけました。
 近年、この戦いは「幕長戦争」や「長州戦争」と呼ばれますが、四つの県境が戦場になったことから四境の役とも呼ばれています。

 

・マイクロバスに 乗り 早速 スタートします。

 

・本日 各会場を 見て廻りますので 説明者が  いますので 内容が わかり 気楽で 安心です。

 

・始めは 明治百年記念公園を 見学します。

 

 ・この記念公園には 四境の役 大島口の戦で 活躍された方々の 記念碑等が 沢山 あります。

 

・車で 移動して 四境の役 大島口の戦で 活躍された 大洲 鉄然生誕地を 見学します。

 

・大洲 鉄然は 覚法寺の 住職 だったそうですので その お寺に 来ました。

 

・寺内に 入り 現在の ひいひい 孫の 住職に よります、大洲 鉄然 と

 四境の役 大島口の 戦の 説明を して 戴きます。

 

・また 覚法寺の 元 住居にある 当時の 貴重な 資料を 見学します。

 

・素晴らしい 歴史の説明、歴史ある 貴重な 資料を 見学し 覚法寺を 出て 次の 

 砲台跡の 会場へ 車で 移動します。

 

                            ・明日へと 続きます・・・。