6日は広島、今日9日は長崎にあの忌まわしい原爆が炸裂した日です。暑さに閉じ込められ冷房を効かせた我が部屋のブックスペースを眺めていたら『木の葉のように焼かれて』(新日本婦人の会・広島県本部編)が目に入りました。
この本、積ん読したままになっていたものです。読んでみました。被爆者の声が沢山たくさん聞こえてきました。
悔しくて、くやしくて、かなしくて、悲しくて活字が滲んでしまいました。
その一節を、無断で転載させて貰います。
【おむすびと少女】...
その少女は、女学院の生徒でした。周りにいる誰彼が火傷か、けがをしているのに、その子だけは不思議と何も外傷はないようでした。女学院の生徒とわかったのは、ユニホームがあの特徴のある白地に水色の線の入ったセラー衿だったからです。
私はおなかがすいているようなのに胸がいっぱいで、感情ばかり高ぶってねむれませんでした。そこは、広島から汽車で二十分くらい東に寄った海田小学校の教室の板の間の上でしたから、なお更だったのでしょう。
その子は私たちと同じトラックで、この教室に運ばれたようでした。昼ごろ収容されたそのときも、小さい口に大きな炊き出しのおむすびをせっせと運んでいました。
夕方のおむすびも一番に列に並んでもらってくると、ガツガツと食べていました。まるでもう、時間がないような食べ方でした。
そして、私の隣のむしろの上にコロッと横になると、軽い寝息をたててねてしまったのです。私は少女の度胸の良さに驚きもし、羨ましくも思ったのです。私は、母と弟といとこと四人でいてさえ、この先どうなるのかと心細い思いをしているのに・・・と。
あくる朝、暑い日ざしはきのうの6日と同じように教室の窓を照らしました。
せも、少女はもうおむすびをもらいに小鹿のように立ち上がらなかったのです。私の母が少女の手の脈をみるまでもなく、寝たままの顔で冷たくなっていたからです。】
この本には、こんなに悲しくて、恐ろしいことが山のように記されています。
!もう、こんなのやだ!原爆は人類の大敵です。廃絶以外にはないのです。
被爆者が訴える『ヒバクシャ国際署名』を全世界に広げましょう。