小中の時は友達が沢山いた
仲が良かった人(もしくは家に来たり、行ったり)
浅尾、池田、稲垣、江藤、瓜生、大蔵、岸尾、小松、儀賀、佐藤(1つ年上の幼なじみだが、向こうが中学になると終わる)、里山(バスケが得意)、志田原、堤(高校卒業の時に学費の為に10万貸して4年後返ってきた)、堤(その2)、釣井、新見(3万円貸して返ってきてない人)、長谷、長谷(その2)、長谷川、藤川(彼には悪い事をした、もし会うことがあれば謝ろうと思っている)、三木、村瀬、森川(この人は全教科常に90点以上だった気がする)
(自分でも何故思い出せるのか謎)
よくよく見るとなんか特殊な苗字多いなw
あと名前忘れたけど足の速い人(一学年年上で、向こうが中学生になったらパッタリ会わなくなった)
中学の時は登校する時だけ一緒とかいう稀な関係の人も居たなあ(上にある岸尾という人)
学校の中では偶然会わなきゃ絶対に喋らないのに
登校する時は時間が合うのかほぼ毎日一緒に行ってた気がする
今思えば小中の時は男女問わず同級生90%ぐらいの人と話が出来た気がする
小中高と親友っぽい人が居たが
小学の時は中学になった時に疎遠に
中学の時は高校で疎遠に
高校の時のは少し前に不明に
結局親友的な人は居なくなった
小中は学校が変わったりするからあれだけど
親友って思ってしまうと剥がれやすいのかもしれないな
無意識のうちに条件底上げしてしまうし
今よく話す友だちは、高校の時の同級生と
小中高で同じだったのにも関わらず視界の端に捉えるぐらいの関係だったのに
農業してた時に偶然ヘルプで来た人がその人だって、そこから続いてる(8年ぐらい?)人の二人のみ
ネット上でできた友達もオフ会とか電話するほどの人居たけど
一緒にやってたゲーム辞めたら疎遠になったし
また別のゲームで友達できたけど終わった
逢別ってやつやね
逢別(あいべつ) - N003の実事求是な日々
なんと2013年に書いた記事ですw
よく覚えてたな
この頃は病んでた(というか傷付いてた)から、詩みたいなの沢山書いてた気がする
俺は真面目すぎるらしいから、何でもかんでも真面目に考えてしまって疲れるんだろうね
まあ分からんでもない
しかしその部分が俺を俺たらしめているとも言える
もっと気楽に人生楽しく?
ふむ、よくわからん
俺は俺が生まれてきた意味を理解しなければ苦しかったし
今はそれが見えているからその方向に走って行ける
ただ意味も無く遊んでいる(暇つぶししている)だけという人生は楽しくないのだ
漫然と快楽だけを求めて生きるなんて、俺には何の価値も無いのだ
そういう人間、それだけのこと
人間として生まれてきた以上「存在している=生きる」だとは思っていない
少なくとも自分自身は