珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

絶滅しないために

2020-01-04 | 思うこと
さ~て、そろそろまた毒舌でも書こうかな( ̄∇ ̄)
よく聞いたけど、なんでこんなものに騙されるの?笑けるわ、あー滑稽と言うことが大好きな人がいたら聞きたい。
じゃあ何?
皆が自分と同じで滑稽じゃなくて笑けなくなったら満足なの?
力尽くでもそうしたい?

私は最近いろんなサイトへ行ってみて、宗教以上に理解に苦しむ人の言動をよほど見た。

単純にネットには、わざわざ主張したい「いいね」とか「高評価」とか「低評価」とかってものがあるけど、必ずといっていいほどその両方が付くんだよね。
真逆ですよ、
真逆。
でも自分と真逆のボタンを押す人ってゴマンといる。
むしろ両方に付かなかったらつかないで「気持ちワルイ」「笑ける」「滑稽」になるんですよ。

同じものを見聞きして
「は????こんなののどこがいいの?」
「本気でそんなこと言ってるの?」
「なんでこんな簡単なことがわからないの?」
と私も正直、呆気にとられる。
でも私だって真逆の意見から見たら、それは全く同じだと思う。

災害があった時、皆が同じ思考回路で同じ方向に逃げたら全滅する場合があると聞いた。
だから人類はいろんな考えを持った人がいた方がいいそうである。

ははは、人類が絶滅しないためには、それって大事だよね( ̄∇ ̄)
これを聞いた時、理解し難い多様な人を受け入れる時の最終手段というか、私には説得力になったわ。
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欲しいもの

2020-01-04 | 思うこと
ブログは古くなると読まれないというけど、私は内容がどっちかといと普遍的なものというか、いいものは何度でも読む。
昔から、気に入ったら同じ本をボロボロになるまでくりかえし読むタイプの読書家だったからだろうか。
読みこんで、それが自分の中で一つの雰囲気を持つまでになるような、自分の一部になるような感覚が好きだった。

そんな本の一つが、実際に存在しない架空の小説だったりした。
「赤毛のアン」で有名なモンゴメリの書いた、アンではなくて「エミリーシリーズ」(村岡花子訳)を、私は中高時代から大人になってからも、文庫で何度も読んだ。
これに関しては「読み倒した」と言ってもいいかな。
何でしょうね。村岡花子さんのとびぬけた語学のセンスもあるけど、今思えば
行ったこともない異国の、今のような複雑な喧騒のない、静かで古い時代の片田舎の、実在もしない架空の人々の生活を、私は昨今の現実の情報より、我が事のように真剣に
読んだことは確かである。
それだけの価値が当時の私にとってはあった。

最初は三部作のうちの二番目の「エミリーはのぼる」がいちばん好きだった。
三冊の中でいちばんイケイケの内容だった。
でもある時期から気づいたら最後の「エミリーの求めるもの」の良さがしみじみ解った。
そしたら最初の「可愛いエミリー」の深さも理解できた。

こんなことが解ったからって、人生の何の役に立つの?って思うかもしれないけど、今それなりの歳をとって思う。
昨今の、最先端でさえあればみたいな下世話な情報を知っていることと、そんなものから解放されて、本当に知りたいことを知ることはちがう。
ネットにあがる、その瞬間は刺激的でも三日もすればどうでもよくなるものと、自分が本当に欲しいものはちがうと思う。

何度も読みたいものってそんなにないけど、ごくごくたまに見つけると、そんな時はたまらなく嬉しくなる。
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