珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

アウェイで書く

2020-01-26 | 日記
スポーツ選手がホームとアウェイで試合をするのは全然違うというけど、これネットの書き込みもそうなのである。

いやどこで書こうと自分の意見そのものが変わるわけじゃないんだけど、なんせ周りの意見が全部真反対。
その中へ「こんちは~」と入って、当然擁護や賛同なんか来るはずもないところで、刺すような冷ややかな視線に耐えながら、一生懸命書くメンタルが必要である。

でもこれはいい面もあると私は思っている。
何故なら人は同じ意見をホームかアウェイか、つまり仲間と言う陰口と、一人で本人を目の前にして言うのとでは言葉選びも全然違ってくるからである。

たいていの人は、わかってくれるお仲間がいっぱいのところでワイワイと「敵」の批判を書くのがネットではありがち。
その方が気楽で簡単だもんね。
でもそうすると、どうしてもタガがはずれてユルユルになるというか、批判がただのワルグチになるというか、客観性も低下して暴走するんだよね。

そういうわけで、今日はモロ「アウェイ」に書きにいったら(正直、あまりにも頭にきたので(笑))、やはりそこは「いくら何でも言い過ぎでしょう」という、作り話やら妄想やら決めつけやらの悪口三昧だった。
そこで一生懸命言葉を選んでも、やはりリアクションは冷ややかだわ、ヤジは飛ぶわ、当然反論はくらうわ( ̄▽ ̄;)

でもまあ、そんなのも笑えるようになったネット8年目である。
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第四弾

2020-01-26 | S教団関係
ズバッと書こう。(って今更?( ̄∇ ̄))

今、Sアンチブログを読んで大きく頷いている人は誰かに「読まされている」のだろうか?
いいえ。
それは信教の自由、言論の自由があって、自分が何を信じようと何を選ぼうと、何を主張しようと犯罪にならない国家で自分が好きで選んでいるだけのことである。
これが理解できる骨のある日本人ならわかると思う。
それはS時代も同じことと思う。

いくらでも良き人生論の本など洪水のように溢れているのにそーかの美辞麗句のそれもゴーストライターが書いた駄作本に心酔しそれ以外の著作を読む暇もないほどコントロールされていたのです。
(対話ブログのコメントより引用)

という一文を「感謝を以て」例に切り取らせて頂くが、正確には
「いくらでも良き人生論の本など洪水のように溢れているのにそーかの美辞麗句のそれもゴーストライターが書いた駄作本に心酔しそれ以外の著作を読まないことを、自分が選択していたのです」
ではないでしょうかね。

バリ活VSユル活、
アポなし訪問VS居留守、
「今まで信じていたものを否定するなんて辛くてできませんよね?」VS「まだそんなこと言ってるの?」

に続く、第四弾が浮かんでしまった( ̄∇ ̄)

同じことをしても、成熟した大人が「させられた」VS「自分で選んだ」か。

私はこれに限り曖昧やグレーではなく、コントロールされたなんて、どっかの国みたいな言い方や不自由は断固お断りだけどね。
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