珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ゲートルを巻いたのは?

2021-10-17 | コロナ騒動
前スレのコメントで、読者の方から紹介して頂いたブログ記事 👇
この中の
「最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこっけいなことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だったのである」
という下りの「ゲートル」が、今の「マスク」のようだと思った。
というわけで思い立ったら即刻、厚労省(0120-565-653コロナ相談センター)に電話してみた。
「もしもし、お尋ねしたいのですが、今、一歩外に出るとやかましく言われるマスク着用についてですが、厚労省から、各公共機関や民間機関に、そのような強制や指示はされているのでしょうか?大事なことなので明確にお答えください」
「いいえ、強制も支持もそのようなことはしておりません」

やはり同じだった。
マスクをしなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしているのは、政府でも官庁でもない、誰でもない国民自身なのである。
その暴走たるや、もはやここまで…( ̄∀ ̄;)
室内で、真顔で傘さしながら美術鑑賞ですよ?何のコスプレやねん(;・∀・)
ここまでになってしまった「従わないと非国民扱い」を、本当に皆、人のせいにする。
「なんで風邪もひいてないのにマスクしなきゃいけないの?」
「いやだって、上が言うから」
上に聞くと「しょうがないんだよ、上が言うんだから」
じゃあその上は?というと、一番上は何も言ってない(笑)

命令なんかされてないのに、なぜここまで檄を飛ばして、頑ななルールにしてしまうのさ?

S組織の「数字の報告」だってそうだった。
書籍だってチケットだって余ったら余ったでどうとでもなるのに、どうとでもなる前に「中間が」絶対にダメだと言う。冗談抜きで、鬼気迫る顔をしてダメだと言う。
「だって上が

本当に上がそう言ったのだろうか?

そこまで絶対にダメと言った本人が、ある日突然、一切を放り投げてもどうとでもなるんだから、事実どうとでもなったのである。
むしろ従うから「絶対であるかのように」やられてしまうのでは?

ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこっけいなことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、国民自身。
この言葉を今改めて考えたい。
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質が違う気がする

2021-10-17 | S教団関係
元S会員のSアンチにとっては、アンチゆえ
「当時の自分をブン殴りたい」「すべてが黒歴史」「死ぬほど後悔している」「傷ついてボロボロになりました」みたいな意見が人気で支持される。
要は、それで自死すら考えた人がいるような一方で、アンチのくせに過去に苦しんでいない奴は不快でしょうがないというか。(ような気がするけど違う?)

でも私の考えはちょっと違って、
黒歴史とまで言うその本質は、Sがどうのじゃなくて、
正体は「立場を以て、無理をしてでも本心の蓋をしていた」ことではないかと思う。

私はそういう、日本人的な精神性?社会性?組織性?が欠落していたみたいで、優先したのは自分の本心だった。
自分が心底から信じられたこと以外は、一切しなかった。
今思えば、当時と今は考えていることはまるで違うけど、それが常に本心だったのは今も変わらない。
だからそこまで落ち込まなかったのかな?と思う。

どんな失敗をしても、それが当時の偽りない自分の本気の本心なら、同じ後悔しても、何というか質が違う気がする。

本心に蓋をして「やらされた」 というややこしいトグロって、本当に底知れない。
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