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昨年1月26日、近くの花卉店で購入したものである。一般的に、花期は4~6月などと表記されているが、地域によっては前倒しで咲くようだ。
昨年購入した折もすでに咲いていたが、今年も数日前につぼみを確認した。寒気が襲来しているようだが、当地方は晴れて、春先の3月頃の温度とされる14度が予報されている。春の訪れ、早そうだね。
そう、我が家にはフウロソウの仲間がもう一つ、ゼラニウム ムーンライトシリーズにも新たな花茎が上がり、つぼみがほころび始めている。
この時期、つぼみを発見するとワクワクするね。
もう、何度もご覧に入れている三段咲きユキワリソウのつぼみのことである。徐にではあるが、日毎、その姿を変えていく(ように思う)。
ほら、花の形が明らかになってきたように見えるが、これは贔屓目ってやつかもしれない。
三年にして初めて一つ、つぼみを育んだユキワリイチゲだったが、今朝、もう一つ、つぼみらしきものを発見した。まだまだ小さくて、確としたことは言い難いのだが、この調子でいくつものつぼみを育んでくれると嬉しいな。
そこで、試みに拙句をひねる。
春まけて つぼみ動くや 色添えて
特別な目的があるわけではないのだが、入間川地区にあるホームセンター辺りを目指してブラ散歩。
道すがら路傍の花を探す。さすがに花には乏しい。この季節だからしょうがないか。
おや、貸し農園の小道にホトケノザが群れていた。そうか、日だまりには、もう春の標が散りばめられていてもおかしくないか。
おや、おや、そんな赤紫の花の中に、ホシノヒトミが一つ、二つ、真っ青な空を見上げていた。
もう間もなく家に着くかという小道で、フェンスに絡んでいる冬咲きのクレマチスに出会った。純白の花、透明感のあるシベがとても美しかった。
やはり、ホームセンターには近づかないほうがいいのかも。さほど種類が多いわけではなく、目立った花もなかったが、見切り品売り場でセンリョウに出会ってしまった。
何度か投稿してきたが、我が家にはとても立派な実がなるヤブコウジ(十両)がある。いずれ、アリドオシ(一両)やら、センリョウ、マンリョウ(万両)なども揃えたいものと思っていたので渡りに船とばかりに携えてきた。
だけど、なぜ半額なんだろう? いろいろな意味で、いまは時期じゃないってこと? 今年、花、付けてくれるかな? う~んっ、まだまだ幼すぎるかな。
今日、24日で大寒の初候である「款冬華(ふきのはなさく)」が終わり、明日から次候「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」となる。一年で最も寒さが募ると言われ、沢の水も凍り、厚みを増した頃というわけだ。
それにしては、このところ温かな日和が続いている。やはり温暖化の影響か? 「掘って掘って掘りまくれ!」などと嘯く輩が横行する中で、これからの気候への影響が思いやられるというものである。
ユキワリソウ、フクジュソウ、ユキワリイチゲのいまの姿である(いずれも、2025/01/24の撮影)。
つぼみが確認できたばかりなので、開花にはまだ相当の日数を要するだろう。
さて、今日は、どれほどの変化があったのだろうか、などと、朝、坪庭へ出るのが楽しみな季節となったようだ。
昨春、サンインシロカネソウ、アズマシロカネソウ、イワカガミダマシ、キタヤマオウレン、コマクサなどを買い求め、鉢植えで花を楽しんだ後、坪庭へと植え替えた。
キタヤマオウレンは常緑ということなので、なかなか渋い葉色ではあるが、なんとか年を越せたようである。
さて、その他の山野草だが、まだ萌芽と言う時期には早いのだろう、ご覧の通り、何の痕跡をも認めることができない。
本当にそうなのか、いやがおうでも募る疑心暗鬼。どこぞの、誰々さんのお庭では、もう姿を表しているのではないか? 我が家のお子たちの生育が悪いのか? ひょっとしたら、これらの名札は「墓標」と化してしまうのではないか?
嫌だね、この時期、萌芽を待ち焦がれる思いは、若き日の駅での待ち合わせのごとく、胸が締め付けられるものなのである。
HiroKen花さんぽさんの「野山に自然に咲く花のページ」を愛読している。
「ユキワリイチゲ」の項を拝見すると、冒頭に「関東地方では見ることができない花。」とある。自生地がないということか。
2023年3月に、みん花時代からいろいろとご教示いただいていた〝しいちゃん〟から、レンゲショウマなどたくさんの山野草に混じってユキワリイチゲをお送りいただいた(二枚目の画像中段右側)。すでに葉が萌していたが、その年、花は見ることができなかった。
その後、春のうちに坪庭の一角に植え替え、2024年度のスプリング・エフェメラルが舞う姿を期待していたのだが・・・・・・。
ユキワリイチゲは、夏の声を聞くと地上部は姿を消す。そう、スプリング・エフェメラル(春の妖精)なのだ。
秋も深まる頃、どんな春の妖精よりも早く頭をもたげ始める。
年が改まる2024年1月には花が見られるのではと期待したが、残念ながら、花を見ることは叶わなかった。
ここで、HiroKen花さんぽさんの「関東地方では見ることができない花。」という言葉が脳裡を過ぎる。
まもなく2024年の幕が下りようかという頃、昨年と比べて増えもせず、減りもせず、律儀に同じ範囲に、同程度の葉を茂らせていた。
昨年の二の舞いかななどと思いながら、それでも懲りずに、花咲く姿を脳裡に描き、春のその日を待ち焦がれていた。
願いが届いたのか? 雨上がりの朝、見たことのない物体が坪庭の一角に出現した。
周りを囲む総苞葉(?)から顔をのぞかせるその姿をなんと形容すべきか? ひと頃、一斉を風靡したメキシコサンショウウオ、その姿に似ていないことはない(個人の感想だが)。これっ、いわゆるつぼみってやつだよね。たった一つだけど。
察するに、これからするするっと花茎を伸ばし、花咲くときを待つのだろう。早く、そんな姿を目の当たりしたいものだと思う。
昨年6月24日、とある肉屋の軒先に「七福神:どうぞお持ち帰りください」との紙が貼ってあった。買い物の後、それではと、2つほどいただいてきた。多肉にはあまり興味がないのだが、名前に惚れた。なんてったって、「七福神」なのだから。
ほとんどほったらかしなのだが、意外と成長が早い。さて、冬の寒さはどうであろうと危惧していたが、今のところ大丈夫なようだ。
久しぶりに写真を取ろうと思ってかがんで覗き込んだら、なんと子株が一つ育っていた。そう、七福神が子をなしたのである。
「こいつぁ春から縁起がいいわぇ!」と、お嬢吉三の台詞を漏らし、R9に収めた次第。
もうだいぶ以前、「みん花」時代のブラ散歩でお世話になったお花畑のおばちゃんからいただいたもの。
いっとき、鉢で楽しんだ後、増えるというので犬走りに植えておいた。それが、一向に増えないのである。それではと、昨年初に、玄関脇の小庭に植え替えた。
やっと安住の地を見つけたとばかりに、テラテラと黒光りする葉を茂らせて年を越し、やる気満々の体でほふく茎を伸ばそうとしている。
迂闊であったが、アジュガが常緑であることを初めて認識した次第である。
アーグチフォリウス・スターダストの小さなつぼみが仄見えていた。
そう、クリスマスローズは得てして春を先取りする傾向にあるようだ。
これは、「開花」ということが春を意味しているのであればということなのだが。
そこで、「おもむろに、春らしさ漂う」というわけ。さて、「らしさ」が取れるのはいつのことやら。
おもむろに、季節が移ろう。
あれほど固かった新芽が緩んで来、そのなかにいくつものつぼみが息衝いているのが見えてきた。
ユキワリソウの覚醒も、意外と早い。如月ともなればほころび始める。
春の帳を上げるのはどなたであろうか?
なかには、このタツナミソウのように世の中の秩序を乱す輩も存在する。
咲きたいと思った時が全盛期とばかりに、自儘に綻ぶなんてのも自然の中で生きる者たちの特権なのだろう。
一向に進展を見せないのがヒメシャガたち。年末の姿とまったく変わらない態様で惰眠を貪っている。
今日、ブラ散歩のついでに最寄りのホームセンターに立ち寄った。目を引いたのはフクジュソウの鉢である。ふた芽で680円+税、さん芽以上で980円+税、などと値札がついていた。これが適正価格かい?
そうだ、我が家のフクジュソウはどうであろうか? つい先日まで坪庭の地面にはなんの変化もなかった。押取り刀で取って返し、坪庭に駆け込んだ。
なんと、なんと、時やよしと思ったか、地面からちょこんと頭を出し、外の様子を伺っていた。どう、春の足音は聞こえたかい? 温もりの気配をその肌に感じることができたかい?
フライング気味につぼみを膨らませているタツナミソウの株を発見した。
ひたすら芽を膨らませることに熱心だったユキワリソウにも、白い花びらに変化すると思われるドットがいくつか見え隠れしていた。
ひと際早く葉を茂らせ始めたユキワリイチゲは、葉ばかりが元気で、今年も花は結ばないのだろう。過度な期待はしていないよ。精一杯、葉を茂らせておくれ。
既述したホームセンターに立ち寄る前に、かつてゲーセン(キャッツアイ)だった跡地に建設中の「(仮称)ベルク狭山北入曽店」の前を通りかかった。
いまどきにしては小規模と思われる店舗も外観上はほぼほぼ完成したようであるし、駐車場の整備もつつがなく進捗しているかのようであった。
とあるサイトには、あのベルクが手掛ける新たなスタイルのディスカウントストアというキャッチフレーズが踊っていた。その名称だが、「Challenging the limits of Belc(ベルクの限界に挑戦)」の頭文字からとった「CLBE(クルべ)」とし、鮮魚コーナーや総菜、ピザ、デリカ・スイーツでこれでもかと安さを強調した業態になるという。
ベルクがクルべ! 単なる倒語かと思ったが、どうもそうではないらしい。。。
(画像をクリックすると大きな画像が表示される。{戻る}ボタンで元のページに復帰)
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智光山公園でシナマンサクなどの開花を愛でた後、家内が待つクリニックへの道を辿る。
南の彼方を遠望すると、狭山工業団地の上には冴え冴えとした空が広がっている。輪郭を持たないぼかしたような雲、シルエットと化した裸木、天を突き刺すかのような無機質の鉄塔--そのそれぞれが、この冬の寒さを物語っているよう。
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畑地のなかほどに、浮島のような小さな林が見える。近寄って見ると、そのすべてがユズリハ(杠葉:ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木)のようである。これは販売を目的とし、意図して植栽されたものであろうか。
「庭木図鑑 植木ペディア」によると、「新葉が揃うまで古葉が落ちず、新旧の葉が着実に入れ替わる様子に円満な世代交代や子孫繁栄を託したもので、縁起の良い木として記念樹に使うことも多い」との記述があった。確かに、庭園や公園など、いろいろな場所でよく目にはしていたが、このような謂れがあることは寡聞にして知ることはなかった。
そう、これは売り物なんだろうね。
なんてこと考えていると、その脇には巻くことを忘れてしまった白菜が寂しげに打ち捨てられていた? えっ、まだ捨ててないって。諦めてないって? はて、どうやって結球させようとするのだろう?
しばらく歩いて空を見上げる。そこには、結球し始めた白い雲がぽっかり浮かんでいた。
さらに歩くと竹林があった。春を待ちわびて、ざわざわ、ざわざわと落ち着きのない竹たちがひたすら根っこを伸ばしているようだった。
早く芽を出せ筍たちよ、出さぬと唐鍬で掘り返すぞ!
家内を迎え、サイ◯クの楽農広場へ野菜の買い出しに向かう。
そこには、「“MEATOPIA” A STORY THAT BEGINS WITH OUR PIGS」などといった立体花壇が飾られたいた。
ここは「サ◯ボク」。あの名高い「スーパーゴールデン◯ーク」を販売している。結構高いけど、これが美味いんだよ。食べる人はみんな笑顔になる。そう、ここはヒト属にとっては理想郷かもしれないが、豚さんにとっては・・・・・・。。。
今日は、定期通院のため、柏原のクリニックへ家内を送迎する。予約時間は9時半だが、通勤時間帯に、入間川を超えるルートは思いの外渋滞にハマる事が多い。通常、車で15分ほどで行き着くクリニックであるが、倍の時間を要することも珍しくないのだ。
ガソスタに寄り給油後クリニックへと向かおうと、8時半に家を出る。だが、こんな日に限って、物事が遅滞なく進む。給油時間もさほどかからず、渋滞というほどの混みようもなく、9時には受付を済ますことができた。
さて、この貴重なスキマ時間をどう過ごそうか? 原点に帰ろうと再読している宮部のマサの続きを読もうか、それとも、付近の智光山公園ヘとブラ散歩か? まだ、緑化植物園には見るべきものとてないとは思ったが、後者を選択した。
住宅地を抜け15分ほどで智光山公園ひょうたん池脇のゲートに出、芝生広場を横切り花木園へと足を運ぶ。
そこには、黄色い紙テープのような花弁を四方に散らしたシナマンサクの姿があった。まだ、「満作」と言うには程遠く、数えるほどしか開花していなかったが、「まず咲く」花の姿を目の当たりにした瞬間だった。
比較的近年に造作されたロウバイ園である。
ここには3つの品種が植えられ、エリアごとに分かれているという。
①桜の園駐車場側 「満月(マンゲツ)ロウバイ」
②斜面の下段 「福寿(フクジュ)ロウバイ」
③斜面の上段 「素心(ソシン)ロウバイ」
ということは、上記画像は②の福寿かもしれない。
冬芽の観察も、冬の楽しみの一つかもしれない。
そう、葉を落とした巨樹の姿、寒樹を愛でるのも、この季節にしか味わえない魅力がある。
うんっ、見過ごしがちな日常の中にこそ、意外な発見や胸に染みる光景が宿っているのかもしれないね。