雷とからっ風 義理人情!上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

中山道 3回目 戸田橋から浦和 その1

2020-11-02 20:25:35 | 中山道

今年1月に日本橋を出発し1つ目の宿場・板橋宿を

通過したところでコロナにより中止に・・・

9か月ぶりの街道歩き再開です

今回は3回目

戸田橋から浦和を目指します

前回の歩き終わり

浮間船渡駅からスタートです

浮間公園で準備体操をしてぇぇ~~

すぐに荒川の土手に出ます

現在は荒川の名称ですが

江戸時代は戸田川と呼ばれて

渡し船で行き来きしていたそうです

戸田の渡し跡です

明治8年に橋が架かってから

渡船は終了だって・・・

今は橋があるので私たちは橋を渡ります

橋の真ん中で埼玉に入りました

江戸とさよなら埼玉県に入りました

武蔵国でいいのかな

土手を下りると

戸田水神社

船の守り神とゆう事です

歩を進めると

地蔵堂

戸田市最古の木造建造物だって・・・

なんてことない建物です(´∀`*)ウフフ

この庚申塔がかなり古いものらしく

見ざる・言わざる・しゃべざるが掘られています

東海道を歩いていた時は

国道1号線沿いをひたすら西に向かって歩きましたが

中山道は国道17号線沿いを歩きます

開発で旧道はブツブツ切られてしまっているので

国道を渡って旧道を歩く形になったりします

ちょっこっと旧道歩いて

また、ちょっこっと17号線歩いたり

蕨宿に入りました南北に1,1キロ

本陣2軒

脇本陣1軒

旅籠23軒

浦和や大宮宿をしのぐ大きな宿場だったそうです

民族資料館分館

 

蕨宿は綿織物が盛んだったようで

綿織物でお金持ちになった人のお家・・・

ざっくり言ったら・・・

どこの宿場にもこんなお家あるな~~

たいがい資料館になったりしてます

ここも100年もたつ建物との事

そんでしばらく歩いて

民族資料館

中山道と宿場の様子が模型で復元されてました

講師の先生にいろいろ説明されても

わからんのよぉ~~

想像できない

だって、たくさんの家やビルの中

車がびゅ~んびゆ~~ん

走る中歩いているんだもの

なので

江戸時代の宿場の様子が復元されていると

すごくわかりやすいの・・・

あ~あ~

今、この辺にいるんだな~~って

この資料館のあたりが本陣だったようです

蕨宿残り半分です

 

 

 

コメント (8)
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