今年1月に日本橋を出発し1つ目の宿場・板橋宿を
通過したところでコロナにより中止に・・・
9か月ぶりの街道歩き再開です
今回は3回目
戸田橋から浦和を目指します
前回の歩き終わり
浮間船渡駅からスタートです
浮間公園で準備体操をしてぇぇ~~
すぐに荒川の土手に出ます
現在は荒川の名称ですが
江戸時代は戸田川と呼ばれて
渡し船で行き来きしていたそうです
戸田の渡し跡です
明治8年に橋が架かってから
渡船は終了だって・・・
今は橋があるので私たちは橋を渡ります
橋の真ん中で埼玉に入りました
江戸とさよなら埼玉県に入りました
武蔵国でいいのかな
土手を下りると
戸田水神社
船の守り神とゆう事です
歩を進めると
地蔵堂
戸田市最古の木造建造物だって・・・
なんてことない建物です(´∀`*)ウフフ
この庚申塔がかなり古いものらしく
見ざる・言わざる・しゃべざるが掘られています
東海道を歩いていた時は
国道1号線沿いをひたすら西に向かって歩きましたが
中山道は国道17号線沿いを歩きます
開発で旧道はブツブツ切られてしまっているので
国道を渡って旧道を歩く形になったりします
ちょっこっと旧道歩いて
また、ちょっこっと17号線歩いたり
蕨宿に入りました南北に1,1キロ
本陣2軒
脇本陣1軒
旅籠23軒
浦和や大宮宿をしのぐ大きな宿場だったそうです
民族資料館分館
蕨宿は綿織物が盛んだったようで
綿織物でお金持ちになった人のお家・・・
ざっくり言ったら・・・
どこの宿場にもこんなお家あるな~~
たいがい資料館になったりしてます
ここも100年もたつ建物との事
そんでしばらく歩いて
民族資料館
中山道と宿場の様子が模型で復元されてました
講師の先生にいろいろ説明されても
わからんのよぉ~~
想像できない
だって、たくさんの家やビルの中
車がびゅ~んびゆ~~ん
走る中歩いているんだもの
なので
江戸時代の宿場の様子が復元されていると
すごくわかりやすいの・・・
あ~あ~
今、この辺にいるんだな~~って
この資料館のあたりが本陣だったようです
蕨宿残り半分です