雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

甲州街道 高井戸宿 布田五宿

2022-11-28 18:57:52 | 甲州街道
11月27日 晴れ 
甲州街道を歩く3回 明大前から調布
10:05 京王線 明大前駅スタート
 

10:15 煙硝蔵跡
 
江戸幕府の弾薬庫の貯蔵庫 
2万坪の土地に蔵が5棟建っていたそう
今は、説明板のみ
後ろの建物は明治大学
 
 
10:20 築地本願寺 和田堀廟所
 
築地本願寺は関東大震災で全焼したため
それまで中央区にあった檀家の墓地を
昭和4年にここに移した
 
 


 
この墓地
超有名人の墓地がたくさんあった
 

 
有名人の墓地ってこれまでも街道歩きで案内されたけど
墓地に入ると
この方のお墓はこちらぁ~~みたいな感じで
案内板が立ってたりしますが
ここは一つもない
 
有名人の墓地多すぎて
案内しきれないのかな
でも、パンフレットはいただきました
がぁ~~
こんな広い墓地で探すの大変だわ
講師の先生について行きます
 
赤木春江さんは本名で・・・
渡辺淳一さんは酒好きだったのかビールが供えたありました
樋口一葉さんは今でもファンの墓参りがあるのか
綺麗なお花が供えてありました。小さなお墓でした
1番デカかったのは
佐藤栄作さんのお墓でした
このお墓は案内のパンフレットに載ってなかった
家族の意向なのかな政治的意味合いがあるのかわかりません
 
その他、私の知らない有名な方のお墓りをたくさんしてきました
さすがにねぇ~~
有名人とは言え、墓地の写真は撮りませんでしたわ
 
 
10:55 栖岸院 
知恩院を本山とする浄土宗
 
 


 
江戸時代は住職が将軍に単独で拝謁できた
格式の高い寺だったんだって

 
11:10 覚蔵寺

 
庶民の信仰が厚かった
鬼子母神像があるので有名だそうですが
中には入れませんでした
 
紅葉した銀杏の木が綺麗でした
落ち葉を2枚いただいてきました
しおりにしよう~~っと

 
寺の彫刻が素晴らしかったです

 
11:30~12:25
早めの昼食
焼肉弁当・・・都内の昼食あまり期待できませんが
この日の昼食美味しかったです
ドリンクも付いてた
 
12:35 宗源寺
 
 
この寺の不動堂はもともと宿の入り口のあったそうです

 
明治44年に不動堂をここに移したそうですが
この不動堂があった場所が高井堂だったので
「高井戸」とゆう地名になったそうです
地名由来の不動堂ってことですかね
 
 
境内の大きなまきの木


高井戸宿
 
下高井戸宿 
本陣1軒
脇本陣0軒
旅篭3軒
問屋場1軒
 
上高井戸 
本陣1軒
脇本陣0軒
旅篭2軒
問屋場1軒
 
なぜに宿場が上と下に分かれてるの・・・
 
宿場には常に決められた数の人馬を置くことが
決められており
甲州街道では人足25人
伝馬25匹と決められていました
 
これね宿場にとっては負担だったんだね
そこで高井戸宿は
宿場を上下に分けること・・・
 
上下の宿で15日ずつに分けて負担を
軽くしたそうです
 
上高井戸・下高井戸・・・
ただの地名でしたがこんな経緯が
あったのね
ガッテン・ガッテン
 
おバカなかかあ天下の街道歩きの目標の1つに
来るときよりも1つでも
お利口になって帰ること・・・
 
この日の目標は達成~~ってことで・・・
 
下高井戸本陣がここら辺との説明
影も形も表示さえもない
 

 
高井戸1里塚跡
甲州街道と高速道路がわかれているあたりです

 
日本橋から4里目の一里塚
現在の道の日本橋からの距離も16キロの表示が・・・
1里が4キロ位なので
4里・・・
丁度16キロ位になるのね

 
13:10 下高井戸本陣跡
ここ京王バスのあたりに本陣・問屋場があったらしい

 
そんでここら辺が上高井戸の本陣、問屋場があったところ

 
長泉寺
高井戸宿で本陣を務めていた家の菩提樹

 
寺の入口に可愛い石仏達が・・・
なんだかここら辺
やたらめったら寺が多い

 
大橋場跡
 
ここら辺は鳥山用水やそこから引いた用水路が
たくさんあったらしく橋が7か所も
かけられていたそうで
そんな用水路にかけらてた橋の跡
お隣には出世地蔵がありました

 
新一里塚
明治になってから内藤新宿を起点として建てられた
一里塚
 
6基作られたそうですが残っているのは
ここだけとの事
 
なぜに明治になってから内藤新宿から一里塚を作る
必要があったのだろうか
 
 
千川一里塚 
こちらは日本橋からの一里塚
日本橋から5里目
 
 
 
馬宿 川口屋
川口家は戦前まで馬方や行商人の旅籠だったそうです

 
庭の奥の方に大きな納屋のような建物が
見えましたが
ここに馬がつながれたのかな・・・

 
滝坂
 
名前のとおり昔はここに雨が降ると
滝のように水が流れたそうですが
今はなだらかな坂道でした
昔はもっと急な坂だったんだろうね

 
金子の大イチョウ
稲荷大明神の前にある銀杏
樹齢250年との事
 
木曽路で立派すぎる樹齢何百年ものの大木を
たくさん見てきたので
大きな感動がない・・・
 
 


野川にかかる馬橋を渡ると国領に入ります
 
 
橋を渡った街道の北側に馬捨て場あります
死んでしまった馬を捨てたそうです
馬の皮を使ったりもしたようです
馬頭観音もここありましたが
今は少し先の常性寺に移されています




15:30 常性寺
調布七福神の布袋様を祀っている
 
薬師堂

 
馬頭観音
馬捨て場にあった馬頭観音がこちらのお寺に
移されています
 
 
ここ調布は
水木しげるさんが50年間も生活していたそうで
あちこちに鬼太郎がいました

 
鬼太郎のお家はポストよ
鬼太郎がお手紙運んでくれるのかな
 

 
街道から右に入ると布多天神社の参道です
 
 
この参道にも
そこここに鬼太郎が・・・
楽しい参道です
 
 
布多天神社
多摩でも有数の古社
この地の長者が布多神社のお告げにより
木綿織を習得しこの布を朝廷に納めたそうで
 
布を調として納めたことから
調布の地名になったとの事
地名由来の神社

 
この神社ここから先は撮影禁止だって・・・
なぜに・・・
七五三のお祝いとか境内で写真撮りたいよね~~
理由わからん・・・

 
鬼太郎のイベントやってたよ
砂で作られてた

 
水木しげるの命日月ってことで
特別御朱印ってのがあったので
頂いてきました
 


布田五宿
国領・下布田・上布田・下石原・上石原の五宿を称して
布田五宿
合わせて一宿の機能
江戸時代の旅人は一日に八~九里三〇キロくらい歩いたので
多くの旅人は素通りして府中宿まで足を延ばしたので
布田五宿には本陣・脇本陣はなくひっそりとした宿だったそうです
 
16:10 調布駅ゴール
 
この日の街道歩きを終えました
予定より20分遅れのゴールでした
 
バスに乗らないコースはね
定員があってもないようなもので
昨日は26人で歩いてたわけです
 
都内の休日に26人もの多列が
歩いているわけで
お邪魔よね~~
 
信号も1度に全員が渡り切れなかったりして・・・
講師の先生も大変です
 
昨日の添乗員さん今一つ
動きが悪かった・・・
 
添乗員さんと講師の先生の力関係って
よくわからんのだけど
 
和田峠でトラブルにあったときも
なんだか、添乗員さんの態度が
たかびーなのよねぇ
 
昨日も添乗員さんの動きの悪いのを棚に上げて
講師の先生を責めるような
物言いを添乗員さんがするのよ
 
添乗員さんが会社に言いつけると
講師の先生の仕事がなくなってしまうとか
あるのかしら・・・
 
講師の先生と添乗員さんが激しく
喧嘩してたこともあるんだって
私はさすがにそんな場面には出会ってないけど
やっぱり、この2人の関係で
旅の雰囲気が悪くなることは
数回、経験してます
 
バス横転事故で旅行会社もいろいろ
敏感になっているのだと思うけど・・・
 
小学生みたいに4列に並んでの点呼や
呼名点呼は少々勘弁してほしいなぁ~~
 
昨日の街道歩きは講師の先生
お気の毒でした・・・って感じ
 
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする