雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

皇居・東御苑

2023-02-01 15:21:16 | お城
昨日の皇居行きは
街道歩きの講師の先生のお誘いでした
 
旅行会社の企画ではなく
まぁ~~
ぶっちゃけ話
講師の先生のアルバイト・・・的な感じかな
 
集合場所と時間だけのお知らせでした
寒くて面倒なので
行く気はなかったのっですが
大奥見てたら急に行きたくなり
7:15の電車に乗ってた
 
9:30 東京駅
 
皇族の方々が電車に乗るときは
このど真ん中の入り口からだそうです
 
 
外国からのお客様も
この真ん中出口から出て
 
真ん前の皇居に向かうそうです
車か馬車を選ぶそうですが
ほとんどの方は馬車を選ぶそうで
馬車で皇居に向かう外国のお客様に
会えることもあるそうです

 
右が新丸ビル
左が丸ビル

 
新丸ビルの前に銅像が・・・
だれこの人
 
鉄道の発展に寄与した
鉄道の父呼ばれている人だって・・・
ほう~~ほう~~
井上勝様だそうです

 
さてさて
皇居・東御苑へGO~~です
大手門からぐる~~と
まわってきました
 


下馬所
ここで大名と500石以上の役人以外は
馬を降りるのよ

 
右手はパレスホテルです
 
このホテル、卒業式後の謝恩会できました
もう40年も前です
 
皆でおしゃれしてこのホテルで楽しかったのを
ふと、思い出しました
 
かつて、このホテルから
2名ほどお堀に飛び込んだ人がいるそうです
2人とも外国の方だったそうです
 
さすがに日本人は
大阪の道頓堀なら飛び込めるけど
皇居のお堀じゃね~~
躊躇するわな


 
はい・・・
私達も登城します
 



私達は馬には乗っておりませんので
馬から降りることはないのですが
手荷物検査があります笑笑
 
バッグのファスナーあるだけ開けないと
ダメよ~~
危険なものなんか持ってない・・・ちゅうの

 
このシャチホコは火災前にこの門にあったものだそうで
背中に明暦3年(1657)と書かれています
肉眼では読めました

 
大手門
大小2つの門に囲まれた桝形は
侵入する敵を阻止し攻撃するためのものだそうです



同心番所
警備詰め所
登城者の監視をしていました
 
 
 
同心番所の屋根には
徳川家の葵の紋
皇室の菊の紋が・・・
 



百人番所
甲賀・伊賀・根来・二十五騎の4組から
25人ずつ勤務していたので100人番所

 
大番所
ここはくらいの高い武士が勤務していました
ここで御三家以外の殿様は
馬を降りたそうです

 
富士見櫓
 
明暦の大火のあと
天守閣が再建されずにいたので
天守のかわりとしての役目もあったそうです
 
ここからは、富士山や両国の花火なども
良く見えたので
将軍様も来ていたのかもね

 
東御苑の中には
たくさんの植物達がありますが
時々こんな名札がついた木や植物に出会います
 
これは上皇様のポケットマネーからの名札だそうです
上皇様って植物学者さんよね
 
「雑草という植物はない」・・・って
言った方
確か上皇様だったよね???

 
松の廊下跡
 
ドラマや映画で見た有名な松の廊下・・・
いやだぁ~~
城内のこんなに端っこだったのぉ~~って感じ
ドラマだと忠臣蔵の冒頭の見どころだからねぇ~~
 
ここでねぇ~~
「殿中でござる 殿中でござる~~」ってね
浅野内匠頭、御乱心だったのね~~

 
石室
大奥の脇にあるので
火災などの際
大奥の調度品などを避難させたのではないかとの事
 
 
じゃぁ~~ん天守台 
過去に3回建てられましたが
明暦の大火で消失後
石垣のみ築きなおされただけで
再建されることはありませんでした

 
天守台には登ることできます
 


ここにこんな天守閣ができるはずだったのよ
年寄りの家老たちは
再建する気満々だったんだけどね
 
保科正之って方が
戦いのない世の中になって天守は不要・・・
復興費に充てた方が良いと提案。
 
以後、天守の建物が作られることは
なかったんだって
 
この人、三代家光の異母兄弟なんだって
幼いころから命を狙われていたんだってよ
 
いろいろと良い仕事したみたいだけど
自分の行った仕事内容の記録はすべて焼き捨てよ
って、言ったらしくこの人の働きの
記録はないんだって・・・
 
偉いね~~
私なんぞ・・・
悪い行いはすべて隠すが
善い行いはこうやってブログに残して
子々孫々にまで残すわ~~笑笑
 



本丸跡は
表御殿・中奥・大奥・天守なので
天守の下は大奥があったのね
って言っても
今はただの芝生だけじゃ~~
 


 
天守台の上からは北の方に

武道館の屋根が見えました
下に見える門は北詰橋門
 
 
 
東側には桃華楽堂
昭和天皇の皇后の還暦をお祝いして建てられた
音楽堂
 


この音楽堂の横に立っている
建物は楽部
 
雅楽の練習所だって・・・
聞こえてきたわよ
優雅な雅楽が・・・
 
生で聞く機会なんかないわよね
楽部から流れてくる雅楽に耳を澄ませながら
歩きました
 





天守台から見えた
北詰橋門(きたはねばしもん)




この門の前の橋
夜間は門側にはね上げられたんだって
 
 
 
 
橋が跳ね上げられちゃったら
こんな石垣よ・・・
なのに、ここから2回盗賊が入ったって
伝わっているんだって・・・
 
ここから、どんなふうに侵入したんだろうね
すごい身体能力の高い人だと
思わない・・・
 


いったん、この門から東御苑を出ました
お堀沿いを歩いて今度は
平川門から再び東御苑に入ります


 
平川橋のギボシ・・・
江戸時代の物を使ってるそうです

 
江戸時代の年号が刻まれています
 
 
平川門は奥女中たちの通用門

罪人・死人はこの門から城外に出された不浄門とも
呼ばれたそうです

 
平川門の脇にある小さな門・・・
ここは、罪人を城外に出すルートだったそうです
 
浅野内匠頭もここから城外に出されたという説も
あるそうですが
さすがに、ここからではないのではという説もあるそうです

 
私達は、この門から荷物検査を再び受けて
再入場しました
 
桃林坂
桃の花がもう咲いてました
 
 
諏訪の茶屋
 
明治時代、吹上御苑にあったご休憩所の
茶屋を移築したもの
今は使われていないそうです
 
なんだかもったいないね
飾っておくだけじゃね
開放してくれたらいいのにね
 
 
二の丸庭園
9代将軍の時代の庭絵図をもとに復元された
日本庭園

 
春の花の時期は綺麗だと思いますが
今はね~~
 
手入れは行き届いているので
美しい事は美しい・・・ですが
なんだか寂しい

 
二重橋の上にあるランプ・・・
ランプより隣に咲いてた
蝋梅に見とれてしまい説明板読んでこなかった

 
一般人が入れないエリアにある
皇宮警察の武道場
ここも声だけ聞こえるんだなぁ~~
 
我が家の子供達4人とも
剣道やってたからね
皇宮警察の方々のけいこの様子が
目に浮かびましたわ・・・

 
御苑の中はどこもこんな感じの青竹で整備されてました

 
大手門を出てお堀沿いに歩き
東御苑内から見た富士見櫓を
外側から見ます

 
坂下門前を通過して皇居前広場を抜けて

 
東京駅方面に歩きます
道の左右にある小屋みたいなの
昔は護衛さんが立っていたみたいだけど
今はいません



東御苑、何度か来た事ありますが
やっぱり案内人がいると
良いですねぇ~~
充実した江戸城巡りでした
 


最後に丸ビルの53回だったかな

ここが最後のご案内でした
レインボーブリッジが良く見えるポイントを
教えていただき
この日の予定を終えました
 
予定どうり13:00終了でした
 
旅行会社の街道歩きも良いけど
こんな感じの歩きもいいかな
 
また、ご案内があったら参加しよ~~と
 
 
この後、丸ビルでランチ食べて
貨幣博物館に行きました
 
続きはのちほど・・・













 
 








 
 
 
 
 

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2 コメント

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Unknown (たいぴろ)
2023-02-01 19:02:26
いいなあー、皇居。若い頃は何回でも東京に行ってたのに、結婚後はたったの2回しか無いけど、皇居に行った事が無いんです。かかあ天下さんの説明、すごく参考になりました。天下の江戸城、今でも天守が現存してたら凄いランドマークになってたでしょうに。
青竹の四目垣、作りたてですねー。皇居の垣根作らせてくれたら出張費無料でやるのになあ。
返信する
Unknown (kakadenka1023)
2023-02-01 19:10:13
たいぴろさん!
こんばんは
皇居で青竹見た時、すぐにたいぴろさんを
思いましたよ!
これ写真撮らなくちゃって思いました。

私はたいぴろさんがチャラっと
京都に行くのがすごく羨ましいです。
返信する

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