10月20・21日
1泊2日で甲州街道を歩く12回
下黒田~石和までを歩いてきました
20日、7:30に新宿駅集合
バスに乗って前回歩き終えた黒野田宿まで向かいます
秋晴れの気持ちの良い日です
中央高速道で激混み渋滞に巻き込まれ
スタート地点に到着がすでに10:30です
さてこの時間から甲州街道最大の難所
笹子峠を越えます
黒野田宿と駒飼宿の間にそびえる標高1096mのこの峠は
上り下りで二里半(約10km)の険しい坂道が 続き、甲州街道一番の難所と言われていました。
江戸時代は、大月や上野原などの郡内(ぐんない)地方と甲府盆地を中心とする国中(くになか)地方の境目であり、現在も大月市と甲州市の境にあたります。
笹子峠入口
少し進むと
明治天皇が明治13年に巡幸した際に、
笹子峠で休憩したことを示す「明治天皇御野立所跡」という石碑がありました
ここで一服
お茶をしたんですね
輿に乗っての峠越えでしょうが
輿に乗っているのも
大変だったよねぇ~~
ここら辺には「三軒茶屋」というお茶屋があったようです
今は、わずかに石の土台が残っていました
矢立の杉
笹子峠の途中にある、樹齢1000年とも言われる巨木です。
樹高約28m、根廻り14.8mで、1960(昭和35)年に
山梨県の天然記念物に指定されています。
戦国時代、笹子峠を通って合戦に向かう武士たちが
必勝を祈願してこの杉に矢を射たことが、名前の由来とされています。
この杉すごいわよ
木の根元付近は空洞よ
たくさんの武将達に矢を放たれ
幹の根元は空洞なのに
杉の葉は青々と茂っています
すごいパワーです
矢立の杉へ向かう遊歩道含め、笹子峠を越えて山梨県中西部の駒飼宿(甲州市)に向かう道のりは
『甲州街道―笹子峠越』として「歴史の道百選」に選定されています
ここですでに12:00
矢立の杉を見ながら過ごすことのできる
デッキやベンチが整備されていましたので
みなさんここで持参の軽食をとりました
私は高速道路サービスエリアで休憩時求めた
パンを2個ペロリです
昼食会場到着予定15時っていうんだもの
食べなくちゃ峠を越えられんわ
馬の背
道幅がとても狭いです
自分の足元と前を歩く人の
おしりを見ながらひたすら進みます
馬の背とはよく言ったものです
ほんと道幅狭い・・・
昔の旅人も大変だったわよね
笹子隧道
甲州街道で一番の難所と言われた笹子峠を越えるため、
1938(昭和13)年に峠の真下に作られた長さ239mのトンネルです。
1958(昭和33)年に新笹子トンネルが開通するまでの間、
東京への幹線道路として、山梨の経済発展と交通の近代化に貢献しました。
鉄筋コンクリート造りで、大月市側には入口両脇に柱形の装飾が2本並ぶなど西洋建築風
ここで講師の先生が
峠越えが無理と
思う方はこのトンネルを通過して
甲州側で待っていてくださいと
案内がありました
このトンネルを超えれば数分で
峠を越えることができると
思います
トンネルの先の出口の光がみえてるもんね
笹子峠
郡内(大月)・国中(甲州)の境で街道最大の難所
13:00
この日の参加者20名です
皆さん、峠を登ってきました
皆さん、旧街道を歩きたくて参加の皆さんですから
数分でトンネル通過を選ぶ方は
いないわけです
途中道標などもあり
峠の頂上に着きました
ここまでが大月市
ここからは甲州市になります
途中「甘酒茶屋跡」などもありました
昔の旅人もちょっと一服って感じですかね
峠を下ります
峠を越えると
甲州市側のトンネルの出口が見えます
甲州市側はやや簡素な造りになっています。
1997(平成9)年に国の登録有形文化財に登録されています。
大月側からおよそ20分くらいで来ることができました
トンネル抜けたら数分ですよね
峠は無事超えることができましたが
街道歩きは続くわけで
駒飼宿を目指します
この日は気持ちの良い秋晴れ
歩くの楽しです
笹子峠を越えて山梨県中西部の駒飼宿(甲州市)に向かう道のりは
『甲州街道―笹子峠越』として「歴史の道百選」
に選定されているそうです
山道には、
こんな橋のない沢を超えなくては
ならないこともあります
先頭を歩くは講師の先生・・・
2番手を歩くは
山岳ガイドの方です
峠越えは
旅行会社のくくりでは
ハイキングのくくりではなく
登山初級Aのくくりになるようで
登山ガイドさんが付いてくれます
ストックの使い方
呼吸の仕方
衣類の調節の仕方
夢中で歩く私たちに
後ろの景色見てください
綺麗ですよ・・・
なんて声もかけてくれます
時折こんな危なっかしい木の橋などもあり
バランスをとり
落ちないように渡るのもまた楽し・・・です
今度のお茶屋さんは
桃ノ木茶屋
甲州ですからね、昔はここに桃ノ木でも
あったんですかね
天狗橋
やっとアスファルトの道に出てきたぁ~~
ここから駒飼宿に入るようです
駒飼宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 6軒
笹子峠を越えたふもとの宿場
江戸方面から見て黒野田宿の次の宿場にあたり、
甲州街道最大の難所といわれた笹子峠を越えたふもとにあります。
この宿には、甲斐国の御牧(御料牧場)があったと言われており、
宿場の名前が付いたようです
北側にある鶴瀬宿とは、複数の宿で1つの宿の役割を果たす「合宿(あいしゅく)」で、
駒飼宿は21~晦日までを担当していました。
駒飼本陣跡
鶴瀬関所跡
甲州十二関の一つである鶴瀬の番所
主に物資の流通の警戒と
「入り鉄砲と出女」を取り締まったところ
今は評柱のみ
鶴瀬宿
本陣 1軒
脇本陣 2軒
旅籠 4軒
江戸方面から見て駒飼宿の次の宿場にあたります。
南側の駒飼宿とは、複数の宿が一宿の役目を果たす合宿(あいしゅく)を行っており、
月の1日から20日までは鶴瀬宿、21日から晦日までは駒飼宿が
継立の役割を担ったといわれています。
景徳院
甲斐の国主として
500年の及ぶ武田一族が滅亡した場所
武田勝頼・北条夫人・信勝以下家臣らの冥福を
祈るために家康が建立した寺
寺は明治の火災で大部分が焼失し
当時のままの建物は山門のみ
3人が自刀した場所には生害石が置かれていました
3人のお墓
勝頼32歳
北条夫人19歳
信勝16歳
この3人が自刀した4か月後に
本能寺の変で信長は亡くなってるんだってね
もし、あと4か月生き延びていたら
武田一族のあり方も違っていたかもだよね
姫が淵
北条夫人の侍女たちが身を投げた田川
北条夫人って
14歳で武田家に嫁いで来たんだよね
勝頼は逃げきれないと思ったときに
北条に戻ってもいいって
言ったらしいよ
なのに、戻らなかったんだね
19歳よ~~
夫は32歳・・・
うぅぅ~~
戦国時代の奥さんは、嫁いだ夫とともに
生涯を終えるのね
私だったらさっさと
実家に帰るわ
19歳ならまだまだ次の人生
楽しめたろうにね
そんで田川に身を投げた
北条夫人の侍女たちはもっと・もっと
気の毒ね・・・
今の時代に生きることができて
私、しあわせだわ・・・
この日の予定コースはここで
バスに乗ってホテルに向かうために
バスミートの場所まで歩きました
日が暮れてきました
明るいうちにバスに乗りたい・・・
17:15
ぶどう畑と石和の町が見えてきました
甲州街道最大の難所
笹子峠を越え
武田一族の滅亡の地を歩き
この日の街道歩きを終えました
しあわせな現代を生きる私は
この日の夕食に
ワインをいただきました
美味しいワインでした
体と頭の中身が全てイキイキしているって感じのおかか様です。
どうして健脚で元気なのか知りたいくなります。
ご両親から受け継いだものなのでしょうかね。素晴らしい!
健康な方に与えられらる歩みの秋の行楽ですね。
スマホで楽しんでスミマセン。
(*´艸`*) ありがとうございました。
こんばんは!
頭は、軽く、
体の事もあまり深く考えないので
動けてしまうんです。
バカなんです。
北条夫人みたいに、夫とともに死んだりしません!
行きたい所に行って、
食べたいもの食べて、長生きします笑笑
八海さんのブログ読んで、
時には大人しく、夜空の星などを眺めてみようと思いつつ!
毎日夜空を見上げる前に朝になってしまいます泣!