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ホームコンじゅく鎌倉教室 にこにこ日記

ホームコンじゅく鎌倉教室のオーナーが、
つれづれなるままに書いています。

2016年秋模様

2016年12月29日 18時07分52秒 | 秋模様

今シーズン撮った紅葉たち


来シーズンの飛躍を思いつつ・・・
(パソコンからだとスライドショーで見られます)

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逗子の流鏑馬に行ってきました

2016年11月20日 20時11分14秒 | 秋模様

昨年に続き、逗子の流鏑馬を見てきました。

昨年は不覚にも、メモリーカードの半分が壊れてしまい、アップできなかったのでリベンジです。
江の島の秋の花火大会もそうですが、逗子の流鏑馬も地元の人にとっては最高ではないでしょうか。

八幡様の流鏑馬は、相当前から場所を確保しておかないと、満足な写真など撮れませんが、開始1時間30分前でも、まだがら空きです。
もちろん始まってしまえば、それなりの人数になりますが、相当敷居は低いです。しかも、何度も何度も馬が走ってくれますので、練習も可能です。まさに、シニア向けの流鏑馬ではないでしょうか?

逗子の流鏑馬のいわれについて・・・
『吾妻鏡』には、1200年(正治2年)9月2日、源頼家小坪で「笠懸」を行ったとの記録があり、その場所が逗子海岸ではなかったかと考えられているそうです。(笠懸とは略式で余興的な意味合いが強い、流鏑馬です)

終戦後、逗子なぎさホテルに進駐していた米軍に流鏑馬騎射を披露したことをきっかけに、1948年(昭和23年)、1949年(昭和24年)に日米親善流鏑馬騎射会が行われました。

そんな、いわれのある場所逗子で、逗子海岸の流鏑馬は1992年(平成4年)から行われています。


( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD ) 1/800S

 


( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )

 


( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD ) 1/100S

 


( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )

 


( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD ) 1/2500S

 

 
( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD ) 1/1000S

 


( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD ) 1/200S

 


( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )

 


( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD ) 1/1600S

 


( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )

 

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南郷上ノ山公園の銀杏が見ごろを迎えています

2016年11月13日 22時55分10秒 | 秋模様

姫は期末試験勉強に、王子は野球の練習でしたので、本当に久しぶりに夫婦のみそろっての外出です。

この公園で子供たちは、自転車が乗れるようになったので、わが家では自転車公園と呼んでいます。
今までは、運任せで、たまたま時期があって銀杏並木を見たことがありましたが、今回はFacebookの情報で、湘南一のきれいさと紹介されていたので、初めてわざわざ見に行きました。

南郷上ノ山公園 ここは、野球場あり、テニスコートあり、ちょっと山に登れば東京湾、千葉の方まで見渡せます。しかも、駐車場がたっぷりありますので、車で入れなかったことは一度もありません。
最近は、近くに 葉山 道の駅 「葉山ステーション」なるものが出来て、今後さらに人気が出そうです。
ホームページでは、有名なお店の品々の紹介が目についたので、お高め路線なのかと思っていましたが、(もちろん葉山牛のような高いものもありますが)想像以上に地域に密着していて、しかもこじゃれた感じで、これからも使っていきたくなるような雰囲気でした。
車で近くまで来たときは、とってもおススメですよ!


( E-M1  MMF3+ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6)

 


( E-M1  MMF3+ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

  


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

 


( E-M1  MMF3+LEICA D VARIO-ELMAR
14-150mm F3.5-5.6 ASPH. MEGA O.I.S.)

山を登ると、八景島、横浜はもちろん。海ホタル(東京湾アクアライン)まで見渡せます。

 

 

 

 

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文学館のバラが見ごろです

2016年10月31日 14時13分08秒 | 秋模様

只今お休みを頂いております。11月8日(火)より授業を再開いたします。

鎌倉・長谷にある「鎌倉文学館」に撮影に行ってきました。
館長さんの奥様が生徒さんで、ご主人もかつて通っていただいたご縁があり、最近はバラの時期、散歩がてらによく行っています。

加賀百万石の藩主で知られる前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸。
明治23年頃、第15代当主の前田利嗣氏が土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことにはじまり、昭和11年、第16代当主の前田利為氏が改築し、今に残る洋館が完成。
昭和60年、鎌倉文学館は鎌倉ゆかりの文学者の著書・原稿・愛用品などの文学資料を収集保存し、展示することを目的として今に至っています。

鎌倉では、この文学館と教室近くにある「古賀邸」 報国寺近くにある、「旧華頂宮邸」が、鎌倉三大洋館と言われています。

この時期と、GWの時期にはバラがきれいで、今週が見ごろだと思います。


( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 50mm F2.0 Macro)



( E-M1  MMF3+ZD ED 50mm F2.0 Macro)



( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 50mm F2.0 Macro)



( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ZD ED 50-200mm F2.8-3.5 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD )



( E-M1  MMF3+ZD ED 50mm F2.0 Macro)



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権五郎神社(ごんごろうじんじゃ) 面掛行列見てきました

2016年09月20日 23時11分13秒 | 秋模様

9月18日は地元権五郎神社(御霊神社)の面掛行列を見てきました。このお祭りは日にちが決まっているので今まで、平日が多く見られなかったのですが、今回は日曜日。江ノ電と紫陽花、以外では、比較的静かな神社なのですが、今回ばかりは人があふれていました。
最近ではドラマ「最後から二番目の恋」(中井貴一・小泉今日子)でも有名になりましたね。

いい機会なので歴史も調べてみました。

もともとは、平安時代後期に鎌倉一帯を治めていた大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉という平氏一族五家の祖先を祀る「五霊神社」が建てられ、それが “五霊” → “御霊” に変化。そしていつしか、武勇の誉れ高い鎌倉権五郎景正ひとりを祀る神社になったようです。

この鎌倉権五郎景正という人物は、16歳で源義家(頼朝の高祖父)に従い後三年の役(1083年~1087年)に出陣。後三年の役の様子を描いた「後三年合戦絵詞」の中に、猛々しい若武者ぶりが描かれています。

戦いの中で右目を射られた景正は、刺った矢を折り取って射返し、敵を倒します。さらに、自陣に戻って、目に折れ残った矢を抜こうと、仲間が顔に足をかけると…、
「矢にあたって死ぬのは武者として望む所だが、生きながら顔を踏まれるのは許さん! お前を仇として刺し違えて死んでやるっ!」
と、言い放つ16歳! 江戸時代には、除災招福、眼病平癒の神様として信仰を集めるだけでなく、ヒーローとしても人気が高まりました。武者絵として浮世絵に描かれたり、歌舞伎の演目「暫(しばらく)」で、鎌倉権五郎景正の名前が使われたりしました。

 

面掛行列は、直接、この鎌倉権五郎景正に関係あるわけではなく、もともとの起こりは、源頼朝公に由来しています。もともとは鶴岡八幡宮で行われていたので、その歴史は800年ぐらいあるようです(絵巻物が国立博物館にあります)。200年ほど前から、権五郎神社に移りました。


『源頼朝が村の娘を特にかわいがったので、その一族が力を持 ち、頼朝の外出にはそばに仕え、そのとき顔を見られないように面をつけた』(守護した?)のがこの行列のおこりだとライト(だけどよくわからない)な記述もありますし、
wikipediaには、『頼朝がその頭(のリーダー)の娘を懐妊させてしまったため、その詫びに、年一回、鎌倉のたちに無礼講を許した。その時、妊娠した娘の姿に仮装して村中を歩いたのを面掛行列の始まりとする俗伝もあり、そのためかつては「面行列」と呼ばれていたなど』、一歩踏み込んだ解説があります。

 

 

 


江ノ電が通ると、一斉にカメラ!

 

 


安産祈願でおなかをさする人が何人かいました。

 

 


坂ノ下の人口密度がピークになりました

 

 

 

 

 

 

 

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